ふるさとウォーキングはいかがですか? 今回は【鬼ノ城探索】

昔・昔ある処にお爺さんと、お婆さんがおりました。お爺さんは、山へ芝刈りに、お婆さんは、川へ洗濯に行きました。お婆さんが、洗濯をしていると川上から大きな桃が、どんぶらこどんぶらこと流れてきました。お婆さんは、その大きな桃を持って帰り切ってみると、中から男の子が生まれました。

という桃太郎伝説と、吉備路に伝わる「吉備津彦命の温羅退治」神話の内容は、共通点が多く、伝承によれば、温羅は百済の王子で又の名を吉備冠者という、身長4m、眼は虎狼に似て、髪は燃えるごとく赤かったと言はれ、鬼ノ城を根城に悪事を働き、吉備津彦命と壮絶な争いの末、退治されたといわれています。

歴史を辿る

その温羅が砦としていたといわれるのが「鬼ノ城」です。古代朝鮮式山城と呼ばれる独特のもので、7世紀後半朝鮮半島の百済に援軍を送っていた日本は、663年の白村江(はくすきのえ)の戦いで唐.新羅の連合軍に大敗し、唐.新羅の日本侵攻を恐れた朝廷は、北九州から瀬戸内沿岸、畿内に国土防衛の施設を築きました。鬼の城もそれらの一つとして造られたという説が有力となっています。

現在も2.8kmに及ぶ石塁が残っていて、城壁は幅7m、高さ6mあります。城門は東西南北の4カ所にあり、城壁の谷部には6カ所の水門があり、いづれも通路部分には敷石があります。

現在復元されているのは、西門で城門部分はほぼ完成していて城壁など細かい部分は平成17年春頃の完成予定です。正面12.3m、奥行き8.3mの大規模な城門で、中央1間が開口され、12本の柱で構成される掘建柱城門で、門扉のくつ柱は一辺最大60cmもあります。

晴れた日には岡山市中心部や、瀬戸内海も見渡せ、4月にはヤマザクラ、コブシ、ツツジなどが見ごろとなります。昔の歴史をたどりながら、新しく復元された鬼ノ城に足を運ばれてみてはいかがでしょうか。