2004年『院長のひとりごと』より
3月

三月に入り寒さも緩み、懐かしい日なたの香りのする、少し先日までとは異なった重心の低くなった様な空気が、気持ちよく肌を通り過ぎていきます。周りの丘の雑木の林は、つきたての桜色の餅のような色合いと、柔らかさが日々濃さを増し、春の到来を見せてくれます。寒さで地面にかじり付いていた様なパンジーも、一日二日見ないと、たくましく濃緑色の葉っぱが一斉に空に向かって伸びています。★私の家に二人目の孫が今年生まれました。又、賑やかさを家中に振りまいています。長男は二歳過ぎで、母親のいない夜をどんなに泣くか心配しましたが、思った程ではなく爺さん(私)婆さんはほっとしました。それでも、夜半にふと目を覚まし、「おかあしゃん、おかあしゃん。」と布団の上に座り母親を呼ぶ声に、老夫婦はどうしてやることも出来ず見守るだけでした。その声は私に、昔、子猫をもらった夜中に、暗い土間から聞えてくる心細く、切ない声を思い出させました。その孫が、五分〜六分も涙を流しながら寝入るのを待っていると、思わず皆、貰い泣きしました。しんしんと冷えてくる夜、自分もあんな夜を過ごしたことがあったのかと、自分の中に埋没した幼児期の影絵の中に浸っていました。★春霞に包まれる山々の景色に誘われ妻を運転手に雇い、瀬戸の雰囲気に逢いに行きました。何か心が重くなるとき無意識に子供の頃過ごした瀬戸の海辺に時を過ごしたくなります。囁くように打ち寄せる波音、磯の薫り、水辺に育ったブッシュの薫りは今の時代のはやり言葉“癒し”効果を持って私に接してくれます。★春の瀬戸内の水面は小さなガラスを散りばめた様に眩しく輝いています。光は何処ともなく演じられる音楽に合わせる様に変化します。時折小舟が通り過ぎると小さな波が岩場に打ち付け、赤ん坊が指をしゃぶるような音を醸し出します。高校時代にはそんな岩場でうつらうつらとした事を思い出します。岸壁に自生しているばべの木を通り海風が新緑の薫りを運んできます。タイムマシンは私の脳味噌の奥深い場所と共鳴します。肩に背中に春の太陽は心地よい時間を作ってくれます。最近空を見上げては、孫たちや、子供たちにこの瀬戸内の自然の中でのびのびと遊べる空間ができればよいのにと思っています。