2003年『院長のひとりごと』より
2月

薄暗い部屋の片隅に在る箱の窓が青白い光を放ちました。横縞の中から野球のユニフォームをきた人影が動いています。少しずつハッキリと投手と分かってきました。それでも時々斜めに像がゆがみます。これは私が初めて見たテレビ映像でした。48年前の東京六大学野球の慶応と立教の試合でした。投手は東、打者は中田選手でした。何でこんな事を覚えているのか我ながら不思議です。放送局は未だ大阪しかなく、この島(因島)の白滝山とゆう250メートルばかりの急な山頂に在るお寺に一台受像器が在りました。勿論大阪まで見える距離では在りませんが約200キロの海の上を電波がやって来るのでしょう、どうにか画像が見えたのです。ある春の夕方父と二人物珍しさにぐるりと瀬戸内海が見渡せる山頂まで息を切って行ったのでした。それから我が家にテレビがやって来たのは、四、五年経ってのことでした。今では各家庭にテレビがある事が普通の時代となりました。しかし、五〇歳以上の人達にとっては、初めてテレビを見た思い出は忘れられない人生の出来事の一つとして瞼に残っていることと思います。★日本でテレビ放送が始まり五〇年を迎えるそうです。私は子供の時代からこの歴史的な情報の進歩に立ち会えて幸せに感じます。テレビは人類の知恵で生物的能力を超えた大発見です。我々の未来に平和な世界を約束してくれる玉手箱の様に見えていました。体を動かすこともなく地球上の出来事を余すことなく知ることが出来ます。多くの人々がお互いのことを理解することで争いが無くなり平和な世の中に成るはずでした。この半世紀を見ていると人類の知的進歩はけして思い書いたシナリオ道理の結果でなく、益々複雑な社会に成っているようです。★若い時にはあんなに見ていたテレビ番組、最近を見る時間が減った自分に気が付きます。画面からあふれ出る色彩の洪水、耳を押さえたいような騒音に等しい音、加齢による感覚の衰えばかりではないように思えます。人生の貴重な一時を裂いてまで画面の中の馬鹿騒ぎに付き合う根気が失せたようです。テレビ創成期の番組を作った人達の溢れる情熱を今の人達に望むのは間違いでしょうか。

3月
我が家の庭の小さな池の水も未だ指先がしびれるように冷たい。澄み切った水の中に最近夏場になると私を悩ませる緑のエイリアンの様なゼリー状の藻と思われる浮遊物体が現れる季節となった。これから秋にかけて私との壮烈な戦いが始まるのか?我が家に住み着いたメダカ君達も冬の間は何処にいたのか姿を見せずあの世にでも散歩に行っているのかと心配をしていた。明るさを増した太陽の光と共に何処からか現れ、元気に泳ぐ姿が見られる様になった。君たちは強い。君たちの祖先が我が家に移住してはや五年になる。いつ頃この世に出でたのかは知らないが、直線鋭角的に素早く泳ぐ英姿は惚れ惚れする。この屋の主人は近来にない寒さに三枚、四枚と重ね着をして家の中でうだうだと冬を耐え、春を待っています。誠にこの冬は冬らしい素晴らしい季節でした。三月が近づくと窓越しの日差しは天使の微笑みのように感じられ、心の安らぐ眠りの世界に引き込まれてゆきます。★庭木の花梨の節くれ立った樺色の木肌から瑞々しく、色鮮やかな緑の芽が一つ、二つと顔を出し始めています。一つの芽が二枚の若葉となり茎が現れ、毎日毎日成長をしてゆきます。春は命の再生の季節です。この世に生きとし生ける草木、動物も思い切り天空の中で雄叫びを発しています。日も暮れて肌に冷たい庭の夜気の中に彼ら生まれつつある脈動が何処ともなく流れ、渦巻き私の五感にまとわりつきます。私の五臓六腑をどくどくと流れる搏動に調和する様に大気を振るわせ春の到来を教えてくれます。★我が家の小さな命、孫も少しずつ青い若葉から個性のある緑に変わりつつあります。時間とともに成長しているのか、成長するから時の変化を感じられるのか私の中では混沌としています。幼子の驚く様な成長を見ていると自分の老いてゆく自然の摂理を何の抵抗もなく納得できます。孫の出現は私にこんなにも自分の人生の意義、存在理由、行き先を簡単、明瞭に教えてくれるとは思っても見ませんでした。
4月

川の瀬音も川辺の水草が青く変わる卯月、微妙に変調をしてくる。寒い冬の季節にはサラサラと乾いた水音も日本酒大吟醸のとろりとした感じの女っぽい音色に変わってくる。流れに身を任せる水藻、水草、魚たち生物の再生が艶めかしい春の川音になって私の耳を楽しませてくれるのだろう。菜の花は益々澄み切った黄色を美しく新緑の中から顔を覗かせ、淡い新緑は霞のように水面と解け合う。太陽の恵みは命の再生の驚喜狂乱の連鎖を引き起こす。★チグリス・ユーフラテス川。忘れていた古い机の引き出しの奥から何やら聞いたことがあるぞ、そんな感じがする子供の時代を思い出す名前である。中学校だったかな?新学期のはじめ、社会の時間、古代四大文明、エジプト、インダス、黄河そしてメソポタミヤ。覚えましたよね。その中のメソポタミヤ文明の地を流れるチグリス・ユーフラテス川。小さな村の学校と日本の国のことしか知らなかったガキが始めて知った遠いい、古い想像の外の世界の事。学校の図書館で本を借りメソポタミアの古代の事を読みあさった記憶があります。★その同じ地で、地元イラクとアウェイのアメリカ、イギリスとの間で国と国との争いが勃発しています。連日連夜大量の兵器と破壊された建物の映像が茶の間に送られてきます。その合間に砂漠の過酷な自然風景が映し出されます。一寸先の見えない砂嵐、豊かな自然に恵まれた私たちには想像もつかない環境です。私たちが春には桜を愛でるのが自然のように、かの人達は何千年にも渡りそんな中で生き、生活しているのでしょう。その中で子孫を残すために頑なな生活、風習、宗教を連帯感を作り上げたでしょう。それがどんなことかは、その地で生を受け、生き続けた人々しか語れない血の言葉でしょう。★二つの河に挟まれた肥沃な大地に農耕を中心とした古代都市文明が栄えたのでしょう。豊かさは莫大なエネルギーを消費したことは砂漠化とゆう環境破壊で歴史に刻まれています。そして豊かさは争いを引き起こしました。数え切れない女子供が犠牲になって今日があるのでしょう。地球上でいち早く鉄兵器を使ったのも、『アラビアンナイト』の絢爛豪華な世界に誇ったのもこの地でした。シルクロードを通り極東の島国日本にもペルシャのガラス製品、琵琶等が伝わり奈良の正倉院に見ることが出来ます。★そんな古い歴史の上でできあがっているイラクという国と、開国以来二百余年にしかならない、アングロサクソン人たちが彼らの英知を傾けた多民族国家アメリカ合衆国が争っている事実は歴史のおもしろさを感じます。世界の経済力、武力を独り占めしているアメリカ。そのエネルギーを支えている石油。莫大な石油を地下深く埋蔵しているイラク。その地上で国境も接さず、遠く海を隔てた国と国が争う不思議さ。★この戦争が地球上の急激な人口増加による歪みを正し、新しい世界秩序を確立し、平和な星であり続ける一里塚であってほしいと思います。その為にアメリカが国の威信をかけて犠牲的精神で臨んだ戦争であったと歴史書に刻まれる日を期待しています。

5月

霞んだ様な青い空、色取りどりの新緑の中にツツジの赤や薄紫の花が見え隠れします。
木漏れ日の中に腰を落とし爽やかな風に身を任せると、静寂の中に溶け込んで行きそうです。
眼を閉じると幼い頃の景色が草や花の香りの中で生き返ります。★この春に
子供の時からの夢が一つ手に入りました。三匹の大きな鯉のぼりが庭の上空で旗めいています。孫が鯉のぼりを見上げて指をさし微笑んでいます。自分の息子の時には鯉のぼりを立てようなんて考えても見ませんでした。近隣の大きな家には大抵鯉のぼりが立っていました。私が子供の時には『そんな高価なものは親に強請ってはいけない』 と思って居ました。戦後の貧しい時代でした。親父は田舎の開業医でした。朝は早くから夜は遅くまで食事も採らず働いていました。風雨の激しい中を深夜ボロ自転車で1時間も2時間も掛かる真っ暗な石ころ道を往診に行っていました。そんな時代でした。国民皆保険になっても、医療費の支払いは盆暮れで未だ芋や野菜、魚の代払いでした。国民等しく困窮な時代でした。しかし、村の開業医は皆の尊敬と自分の職業に今以上に誇りを持てる時代でもあったようです。我が家の鯉のぼりを見ているとそんなことが思い浮かびます。

●コイノボリ

甍の波と 雲の波    重なる波の中空に 橘かおる朝風に 高く泳ぐよ コイノボリ 皆さん?この唱歌を口ずさめば幼い頃そっと心の底に仕舞っていた小さな秘密が、思い出が心の中に湧いてきませんか?

★ 鯉のぼりは端午の節句に男児の出世と健康を願って立てる飾りだそうです。江戸 時代、武家階級の風習で家紋の付いた旗指物や幟、吹き流しを玄関の前に並べたそう です。其れを庶民が中国の故事『鯉は滝を昇るとそのまま大空に舞昇り龍と化す』に因み武家の旗指物等を鯉に変えて江戸庶民の間に広まったとのことです。現代のように大型化したのは明治中期以後とのことです。なにげない現代の風習も色んな変遷を経て今日まで続いているのですね。
★ 小学校の新学期の頃、先生のオルガン、ピアノで思いっきり大きな声で歌った唱歌。今では一人一人の体の中に沈殿してしまった歌がありますね。想い出して、人に聞えないように小さな声で歌ってみましょう。万華鏡のようにあの頃が浮かんできますよ。

● 春の小川                
春の小川は さらさら流る 岸のすみれや れんげの花に においめでたく 色美しく 咲けよ咲けよと ささやく如く

● 背くらべ
柱の傷は おととしの 五月五日の 背くらべ ちまきたべたべ 兄さんと はかあってくれた 背のたけ

きのうくらべりゃ 何のこと やっと羽織の 紐のたけ

6月
梅雨の鬱陶しい日々がやってくる。初夏の清々しさは新緑のヴェールを縫って渡ってくる。青い空気と共に。流行り言葉でいう『癒し系の時間』なのであろう。★今年のセリーグは面白い。黄色の縦縞阪神タイガースが昨年までとこれが同じチームかと目を疑うように甲子園の芝の上を縦横無尽に動き回り、連勝、ダントツ首位のさまにタイガースファンは積年の恨みをここに晴らし連日連夜天国に遊ぶ日々であろう。巨人ファンの私としては心からお喜びを申し上げたい。★私はほんのガキの頃から巨人ファンでした。しかし約十年以上前からテレビ放映を見ることが無くなり、勝ったとき翌日ちらっとスポーツ欄に目を通す程度になりました。最近テレビを見ると余りにも知らない巨人選手の多さに唖然として消してしまいます。私があんなに好きだった野球に少しずつ秋風が吹き出したには一つ、二つの訳があります。昭和四十年代半ばまでのプロ野球の試合を観る、観客、テレビ視聴者には投手の手を離れ始まる一球に全ての耳目を集中していたように思えます。そこには沈黙と次に訪れるドラ
7月

今年の梅雨は女性的に優しい様だ。(最近はそうともいえませんが・・・)適度な湿り気や太陽の光は木々の緑を日毎に濃く、美しく装ってゆく。少し土っぽい冷気が薄暗い緑のカーテンの中から室内に流れてくる。時折パラパラと大きな雨滴のタンバリンが色んな庭木の葉っぱの上でラテン調にリズムを作る。葉っぱを伝わった水滴が緑の光にぬれながら白い土の上に小さな穴を穿って行く。ポトン、ポトン、雨の音は庭石に跳ね返り、跳ね返り心地よい自然の奏でる音楽となって私の耳に伝わってくる。時折吹く風がパラパラと炒り豆のはじける様な音で周りの空気に緊張感を漲らせる。★色んな木々の葉っぱに答えて雨音は大きな音、小さな音、トレモロのように連続して響く音、時折幹を流れる細い清流のような音、小さな我が家の庭にも自然の奏でるシンフォニーで心地よいひとときを過ごすことができる。気持ちの持ち様で何も遠くの名所旧跡、高級日本旅館に行かずとも私たちの生活の場にも心を潤わす場所はあるものです。緑のメロディーを子守歌に寝るのもよし。手元の使い古した鉛筆で落書きするのもよし。自然は私たちが親しく寄り添って近づいて行けばよく響く鐘の様に暖かく答えてくれます。★子供の頃こうもり傘は高級品でした。渋臭い重くて大きな番傘を手では持ちきれず肩に担いで小学校に通った梅雨の通学風景を思い出します。道の中にできた水溜まりは子供にとっては遊園地と化し、素足になるもの、ゴム草履のもの、勿論長靴なんてなく蹴散らす水飛沫は頭のてっぺんから下着までずぶ濡れで、中には番傘を逆さまにして水で満たし振りまくやつもいれば、大きな石を投げ込む奴叫声を上げて時を楽しみ親に大目玉を食らう家路についたものです。★梅雨が明けると夏草で覆われた白い道は夏虫の涼しげな音色と、名も知れない昆虫博物館になります。子供達はバッタの足を千切って見たり、トンボの羽を切って飛べるか試したり、カエルを捕まえてはお尻の穴に麦わら突っ込んで息を思い切り吹き込んだり動物愛護の気持ちなんかさらさら無く時間を過ごしていました。子供は元来残酷なものです。そんな経験が生き物への優しさ,愛おしさに変わって行くのでしょう。真っ青な空に入道雲、皮膚も焼け付く様な光の中で子供は強く、逞しく育って行きました。体の前も後ろも分からないぐらい真っ黒になって一日中遊び回った友達。夏の季節は私たちに夢と生きることの優しさと残酷さを教えてくれた季節と思っています。四季折々の移ろいは私たちを無意識に教えてくれています。生きるすべを・・・・こんな素晴らしい国を愛することが、子孫に残していこうと思う気持ちが愛国心と思います。

8月

葉月を迎える数日前に長かった梅雨の季節がやっと終わった。このニ、三年は猛暑で地球の異常気象が姦しくマスメディアを賑わせていたが、あの現象は何処に行ったのだろう。今更ながら我々霊長類の感覚体験の曖昧さに驚く。暑さも我慢できないそんな時、ブツクサとテレビを観ながら“独り言”を呟くのは、初老の証拠かと不安になる今日この頃です。暑気払いに私の愚痴話に付き合って下さい。★ある国のある町の通りにこんな立て看板が目につきます。『シートベルト100%着用宣言都市』少し行くと思わず笑ってしまいます。ユーモアに満ちあふれたSF小説の中の都市だ。「100%」この言葉を真面目に使った人はどんな顔をしているのかな?「100%、1を取れば0%」此方の方が現実的じゃないのかな?宣言、この言葉の持つ重さを考えたことがありますか。一昔前、車を転がしていると『核兵器廃止宣言都市』と書いた立派な看板がよく目につきました。いつの間にか腐り、朽ち果て、傾いた看板。その後宣言を取り消したとの広報もなく消えていったあの言葉、まさか冗談で作ったわけではないですよね。★自動車と携帯電話。今では日常生活に無くてはならない必需品になりました。「不況、デフレ、倒産、中高年の自殺の増加、こんな時代に路上はピカピカの新車ばかり。なんでだろう、なんでだろうの流行り言葉。」運転中の携帯電話は交通違反でしたよね?あの法律は何処へ行ったのかな?「くわえタバコに茶髪に携帯、信号無視の大和撫子。」自己中心の活動的な運転をする女性が増えましたね。直進するのかと思いながら走っているとウインカーを出さずに左折、右折何度も怖い思いをしています。お陰様で反射神経のトレーニングをさせて貰っていす。この現象は全国的な流行なのですかね。まさか岡山地方独特な風習ではないですよね。★交差点のお話。信号は緑、黄色、赤でしたよね。近頃は緑と赤に変わったのかと思えるほどです。黄色はスピードを上げて突っ走れ、赤になってももっと早く走れ、緑になって止まりましょう。何でか分かりますか?ぶつかって車が壊れるからです。信号に従って運転をするとこんな怖い目に遭います。赤になって止まると、後ろの車が横を猛スピードで追い越してゆきます。左折車は常時ウィンカーを出さずに曲がります。信号も信じられない街は『平和都市宣言』なんか出しませんよね。★黒い目隠し高級車、マナーを無視する低級者★狭い細道ガッチンコ、お互い譲らず、数珠繋ぎ、窓を閉めて怒鳴りあい、音声消したテレビの様。★マナーと人間の善意を信じ車の利便性は社会に根付いてきました。そのルールが信じられない世の中になった時、自動車社会は恐怖の時代になります。★少し胸の支えが取れてきました。お付き合い下さいました皆様に感謝致します。これから暑い夏がやって来ます。今まで維持した自己管理を乱さないよう、特に食事の内容に気を付けて涼しくなる秋を待ちましょう。

9月
私の家の御不浄のジャロジ窓の隙間から庭が見えます。鉢に植えたススキが夕陽の中で小さく白い綿毛の様な穂を輝かせています。無心な無防備な態勢から垣間見られた小さな窓、目隠しの隙間からの日常の風景は心の襞の中で隠れています。何かの時に一枚のフィルムの様に唐突に浮かび上がってきます。学生時代一人旅した時、男鹿半島の民宿の窓から見た夕焼けの日本海、田圃の真ん中にあった中学校、目隠しの間から見えた黄金色の稲穂、等など。次いで乍ら男女機会均等時代といえ、良くぞ男に生まれけり。大自然を前に心の底から洗われるあの瞬間。そして餓鬼共と海に向かって飛ばしっこしたあの元気さが年とともに懐かしい。★中秋も過ぎ、晩秋が足早にやって来る。周りの落葉樹の間から青空が透けて見える様になり、木々は暖色系のグラディエーションに変わって来た。人生の晩節を見ているようで身近な親しみを感じる季節だ。これから葉っぱを落とし根元を覆い、来春の新しい命の肥やしになるのだろう。この地球誕生以来粛々と営まれている生き物の輪廻をここにも見つけることができる。しかし一種類だけ道を外れた生き物がいる。★最近「タマチャン」、アザラシが事も有ろうか都心部の最悪汚染河川に出没をしてマスメディアのおかずになっている。何とも平和な風景である。一方北朝鮮拉致事件の承認問題で国全体が揺れ動いてる。この二つのニュースがワイドショウなる、井戸端会議的な場所で話題にする事に私は目眩を感じる。脳天気な平和ボケ症状と国民の生命と国家の問題を軽々しくも同じ俎上で主観的に垂れ流すマスメディアの主体性の欠如こそ大きな問題だ。故なくある日突然神隠しにあった様に消えた愛しい子供、家族。その家族の数十年に渡る苦しみ、苛立ち、不信感は如何ばかりであった事だろう。拉致が事実あった事が判明した今、テレビメディアはメディアの責務を全うしようと努力しているのか。多くのテレビは見るのも憚れる様な悪臭悪態をていしてないか。是で言論の自由を金科玉条の様に主張できるのか。私達国民も国家との関係を冷静に考えよう。国家は国民の主権、生命の安全、財産の保持を守るために存在しているのではないか。立法府たる政府は与党より成り立ち、その与党は私達国民が選んだ国会議員より成り立っている。私達が彼等に信託できない時にはどうすれば良いのか?★私達は国家の有り様が判断できる正しい情報と論評を望んでいる。メディアのある必要性は其所にある。美味しい食事、へたくそな可愛い子ちゃん歌手も必要だけど、本来のお仕事もお忘れじゃあありませんか。
10月
冷たい北の海からやって来た背中を青藍色に、腹部を銀色に身繕いした精悍な武芸者を思わせる魚、それは秋刀魚。私がこの魚の旨さに魅入られこの季節を指折り数えて20余年となります。七輪と炭を庭先に用意し脂ののった生秋刀魚が手に入るのを待つ日々は例えようもない気持ちの踊る楽しいときです。この数年私の年に一度の楽しみも、体調が悪く楽しむことが出来ずにいました。今年は秋刀魚の豊漁が伝えられ楽しみにしていました。9月はじめの初物は未だ脂ののりが悪くがっかりしました。それが四日前に食した秋刀魚様は今まで長年食べた中でもピカイチの旨さでした。★真っ青に澄み切った青空に太陽が西の傾き辺りの建物が紫色に陰を落とし、緑の木立が薄暗くなる頃、七輪の炭がパチパチと赤く熾ってきます。背中が何となく寒さを感じ始めると今日の主人が登場です。一目で今宵の秋刀魚はいけるぞ、長年培った鑑識眼はこれは凄いと信号を送っています。網の上にそっと身を横たえます。この場面で火勢を余り強くしてはいけません。油が火の上に垂れないように気を付けてひっくり返さないよう辛抱をします。頃合い【ここが旨くあがるか不味くなるかの分岐点です】を見計らってえいやあと裏返します。ここで旨い秋刀魚はお腹から歓喜の脂を火の上にたらたらと落とし一気に炎が立ち上ります。素早く炎を落ち着けさっと火を通してお皿の上に取り出します。この時香気がふうっと鼻腔を心地よく刺激して生唾が口の中に広がります。下ろしてあった大根をたっぷりお皿にのせ、濃い口の醤油を数滴垂らすともう日本に生まれた幸せに、再び秋の季節を迎えられた事を万の神々に頭を自然に垂れます。★香しく焼けた皮を箸で開くと湯気と共に白く脂ののった妖艶な女性の様に暮れなずむ中に浮かび上がります。大根下ろしの辛みと口の中で得も言われないシンフォニーを醸し出します。全く満足、満足。今年の秋刀魚は最高。次は私の最も好きで、楽しみにしていた、臓物の旨さにかかります。この旨さを引き立てる炊きたての新米があれば天にも昇る旨さを体験できます。火がほんのり廻った臓物の脂の甘さと苦みがお米と一緒になった時、とんでもなく想像も出来ない旨さが夢の世界に運んでくれます。今秋の秋刀魚ちゃんは最高でした。
12月
紅い葉をわずかに残しただけの紅葉の枝が、錦木の赤い葉、けやきの黄色の落葉の舞い落ちる中を楚々とした渓流にかかる橋の様に中空を横切っています。すっかり色づいた山法師も緑の少し残った葉の中に朱の濃淡をふりかけた様に美しさを競っています。その空にはカリンが今年は豊作でした。イエローの大きな実をたわわにつけています。まだ沢山残っている青黄色の葉と山水画の様に節くれだった樺色の幹がおもしろい景色をつくっています。毎秋、この大きく立派な甘ったるい芳香をまき散らす果実をみる度に、これが食べられたらどんなにおいしいのかと西洋梨の美味しさを思いながらうらめしく眺めています。咳によく効くと患者さんに言われ、毎秋実を採っては外来に置いていますが、なかなか好評ですぐになくなります。私は一度も試したことが無いのですが、昔から多くの人々に愛飲されているので藪医者振りを発揮しています。この木も毎年大きくなり、今では六〜七mにもなります。★昨秋、枝切りバサミが届かないので枝をたたいていましたら、視界外から飛んで来た一個が額を直撃、一瞬気を失いました。てっぺんの採りにくい大きな石の様に硬い実を採るのは本当に命がけになり、今年からは植木屋さんに頼むことにしました。また一つ季節の楽しみが減ってしまいました。十一月末は雨ばかりで秋の青空に染み入る紅葉を楽しむことが出来ませんが、小雨の中、曇天の中での紅葉も心の落ち着く点描だと思えます。のむらもみじが日毎に濃赤色の透明感を増しながら、木々の中に溶け込む風情は日本人の美的感覚の琴線を奏でます。いろはもみじがてっぺんから徐々に緑を赤朱色に変えながら下ってくるのも家に居ながら山中の落葉樹の秋の日々を見ているようで心が洗われます。生垣のアラカシの暗い緑の窓の中に、隣家の銀杏が真黄い向日葵の様で、曇空の中にそこだけ太陽が射している様な錯覚におそわれます。★木々の下には濡れた落葉が雨で掃く事も出来ず地面を覆っています。先日庭で何となくたたずんでいると落葉の上を小鳥の足音が近づいてきます。驚かさない様にゆっくり首を廻らせ木々の間を見渡すと、およそ二〇センチメートル位のひよ鳥の様な余り綺麗でない羽根の鳥、落葉の中にくちばしを突っ込んで何かを探している様子で私の横を歩いています。見つからない様にそっと中腰で見ていると、目の上に白い長い毛が生えています。こちらを向いた時、顎の前面に真っ赤な毛が目に入りました。初めて見る美しい鳥なので写真を撮ろうと忍び足で部屋にカメラを取りに行きました。帰ってみると姿が見えません。「しまった!」と思いました。すぐ鳥類図鑑を見ましたがそれらしい鳥は見つからず、よくよく思い出そうとしましたが、なんと人間の記憶力の曖昧なことかと落胆しただけでした。どなたかこんな鳥の名を知りませんか?