2002年『院長のひとりごと』より
2月
 五十年前。瀬戸内海、島の冬。風の凪いだ日溜まりは、ポカポカと暖かかったよな。猫と一緒に日向ぼっこをしたよな。猫ってゴロゴロと喉を鳴らし、膝の上で身も心も貴方と一緒と思って安心していたら、或る日突然いなくなって二、三日すると知れーとした顔で帰ってくるんだよな。子供心に変な生き物と思っていたが、大人になって猫って変に人間くさいんだなと愛らしく思えるんだね。これも年かな。★そうそう、あの頃冬には軒下に氷柱がキラキラと冬の光の中で輝いていたよな。今では想像もつかない風景だけど、変わったんだよな、環境が。氷柱を叩くとコッキンと澄み切った音を出して折れるんだ。舐めながら小学校に行ったよな。汚いとか、不潔なんて言葉知らなかったよね。手に触って食えそうなものは大抵口の中に入っていたよね。だけど下痢した奴なんて居なかったよな。火の気の無い教室は寒くて、お天とうさんが東の山影から顔を出す二時間目まで、霜焼けた指はかじかんで、字も書けなかったよね。女の子は休み時間ともなれば暖かい南向きの板場に腰を下ろし、お猿さんの様に髪の毛の虱を取り合っていたっけ。      、凄い殺虫剤だったよね。頭から髪の毛まで白塗りのお化けのようになると嘘の様に虱は死んじまったよね。まさか発癌剤を浴びているなんて誰も知らなかったんだもんね。休みの日には風の来ない路地でビー玉遊びなんてしたな。隣の和俊君とは良く遊んだな、と言うよりいつも一緒だったな。相撲をしたり、山に行ったりね。ガッチリして体力があったよね。彼。今は何年も患って社会生活が覚束ないんだもの。彼、ビー玉が強かったよな。俺、何時も取られてばかり。子供のときから、俺賭け事駄目なんだよな。彼、ビー玉を狙って息を止めると、鼻から二本の緑っぽいネバイ鼻汁が蛇が穴から出てくるように顎まで降りてくるんだよね。パッチンと俺の玉に当たるとニヤーと蛇は元の穴に帰ってゆくんだ。残った汁を袖で拭うから、テカテカ。そうゆう奴って概ね強かったんだよね。あの頃の子供は汚くても平気で、今流行のアトピー、とか花粉症なんていなかったよね。今の医学では、その頃の生活環境が知らない間に免疫力を作っているらしいと免疫学の先生はおしゃっている。それにしても最近の清潔願望症は異常としか言いようが無いね。★皆良く働いたよね。三等国と言われた国が、経済大国といわれるようになったのも、皆の力だもんね。お上の方針に素直について来て、毎年世界何位の      とマスメディアに煽てられ、心躍らされ、国のため、社会のため、家族のためと寝食忘れて尽くしたのに辛いよな。もう年だから要らないんだって。会社が、社会が潰れるから要らないんだって。そりゃ、ないよな。国が危ないといっても、そりゃないよ。国の現在、将来を考える人達に任せたんじゃないの。船で言えば船長さん、今までの総理大臣何とか言ってよ。船に乗った人の面倒は最後まで見てよ。乗組員の方々(国会議員の先生方)、国会に行く前に可愛い子供や孫の顔を見てね。彼ら達に希望の持てる近い未来の青写真を乗員(国民)にも見せてよ。分りやすく、誤魔化さないでね。
3月
硝子の欠片がキラリ、キラリと、見通しのよい木立の中で輝く濃い緑の椿。眩しくて思わず目を細めて乙女の透き通った薄桃色の頬を思わす椿の花を見る。光の中に春の遠からぬ気配が辺りに漂う。湿った枯葉の中から生命の息吹が鼻腔を擽る。空に向かって手を伸ばし、眠っていた大小の木々の梢にも薄紫に膨らんだ命の再生が見られる。チョロチョロと冷たい音を立てていた水の流れの中にも何かが宿る。そんな水の音に聞えるのも、春の祭りの序曲に心躍らすものの拍動か。庭の小さな池の中を毎日覗き込む。天気がよくても寒い日には一匹も見当たらなく“死んでしまったのかな?”と心が沈んでしまう。しかし、死骸が見あたらないので“生きてるよな”と独り言を呟き出かける。暖かくなるとどこからともなく沸き出でて群れ泳いでる。“よかった”と笑みが浮かぶ。池にメダカを放して早3年。同じメダカがいる筈はないのだけど、私には同じメダカとしか思えない。何でだろう。長く、長く生きる生物から見れば(そんな動物はいないが)何百年も、何千年も同じ人間が生きて居るとしか見ないのかな。★この数ヶ月私の一日は驚くほど短く、起きたと思ったらまた寝るのかと思うほどだ。この現象が老化現象というのか。己の頭脳の回転を見ていると何と同じことを繰り返し話したり、読んだり、見たりしているのであろう。同じことを2度、3度繰り返すことは一日の時間は  時間でなく8時間、  時間と思うしかない。私も今月で人生本卦還りとなる。元来日本には、隠居、隠遁とか、人生に社会に謙虚な風習があった。なんと含蓄のある言葉じゃあないか。混迷度の深まる今の時代、これらの言葉に再び命を吹き込んでもよいのではないか。今まで社会を担った人々は、未知なる将来を若者に託す事において。時間が経つのは早い。昨年まで景気の動向ばかりが話題になっていた。今では国自体の存亡が懸念されるような話題が氾濫し、将来の明かりをも見えず不安が渦巻いている。日本の国の新しい社会構造に変わるまで皆で苦しみに耐え、痛みを分かち合おうと掛け声ばかりが幽霊の様に彷徨う。昔、昔言われたそうです。“勝つまでは欲しがりません。”具体的な目標もなく、情報もなく若者の命だけ消えて行った私が生まれたころの事です。★寂しい。『本来あった活気や生気が失われて荒涼としているという感じ、物足りなく感じる意。』(広辞苑)より。★悲しい、哀しい、愛しい。(かなしい)。自分の力ではとても及ばないと感じる切なさという意。悲哀にも愛れんにも感情の切ないことをいう(広辞苑)より。★私達の祖先が培った日本人の持っている心根の優しさ、悲しさ、愛おしさ、力強さなどを著す言葉をかみ締めて明日に夢を作りたいものです。 
4月
朝靄の中白く漂うように満開の桜の花が姿を現す。朝日が東の山の端より光を放射し始めると、徐々に薄紅色に染まり谷間を少しずつ小道に沿って這い上っていく桜。左手に連なる小高い山々の北斜面には芽を吹き出しそうな桃色の雑木の中に、白く薄茶色に囲まれた山桜の木々が溢れている。頭上に覆い被さる桜の枝を見上げながらこの道との出会いに思いを馳せる。★人一人見あたらないこの道を辿ったとき突然出会った春の光の中で、時折吹く風に枝を撓ませる桜、桜の歓迎に思わず口にした「わ〜すごい」。ウグイスの囀りが風の音に絡まり、時折聞える小川のせせらぎの音。車の音も、人の囁きも聞えない自然の静寂。あの時の感激をもう一度と春を待ち訪れ続けて十数年になる。『うそ』という鳥に花芽を食べられ花数が減ってしまった年も続いた。ある年突然桜の間をぼんぼりが連なり唖然としたことがあった。今も続いているが。この道の終わりにある山里の人達が作った草餅を楽しみに通ったこともあった。私自身の体調が悪かったこの数年この道を訪れてない。今春の早い時の移ろいにこの日の訪れを少しドキドキしながら待っていた。そんな思いも飛んでしまった。今年の桜は素晴らしい。九十九折りの桜並木は高みまで運んでくれる。足下には仄かに紅色を含んだ着物の帯を放り投げた様に山裾に消えて行く。朝靄も緞帳を上げるように消えて行き山桜の姿がパレットの様に浮かび上がる。★ウグイスの谷渡り、下手なウグイスの鳴き声、色んな鳥の囀りが谷間を行き交う声に命の再生の時を感じる。目を転ずれば山桜の豊富な色模様に気がつく。桜と言えば染井吉野とイメージを固定させている自分に気がつく。日本列島は世界で最も桜の品種が豊富な地域だそうだ。万葉集にも沢山な歌が詠まれている。『日本続紀』に初めて宮中で観桜の宴が平安時代、西暦八一二年四月一日に行われたことが記録されている。それ以後歌集、史記に数多く詳細な記録が記載されている。下って江戸時代、吉宗の時代桜の名所を市中、郊外に造り庶民の行事として浮世絵にその風景を見ることが出来る。それぞれの時代、先祖たちはどんな桜を愛でたのであろう。染井吉野でないことは確かであろう。何故なら染井吉野が人工交配され作られたのは江戸末期との事である。★百余年の間に日本国中が染井吉野一色に染められたのには幾つかの要因があるに違いない。移植が容易いこと、成長が早いこと、花付がよいこと等々桜の性質も一つであろう。もう一つ社会的な要因が有ることも忘れられない点であろう。明治維新以来西洋に追いつき、追い越せと国家中心の国策を貫いてきた。日露戦争の戦勝記念として桜は津々浦々に植えられた。大国として軍備拡張に伴い造設した連隊場、国家的記念、事業の完成等々、国を挙げて染井吉野は桜の世界でスターに成り今日に至っている。染井吉野の咲いて清く散る花の性質が私たちの心情に重なり合い、我々日本人の精神性の形成にも影響しているように思える。統一性、全体性の美も必要だが、個の美しさにも私たちの恵まれた自然環境の中でもう一度見直すことが今日の日本人として必要な事と思われる。春の風と陽差しと草の香りの中で夢を見た一時であった。
5月
 春の訪れから初夏へ生活の場に色とりどりの緑が溢れています。その中で、色んな生き物が活発に動き回る気配が空気の中に感じられます。光の帯が透けて見えるような瑞々しい新緑も日毎に濃度を増しそれぞれの個性を主張し始めています。寒い冬を越すことが出来ず枯れ枝となり空に向かって虚しく残る光景は、植物も私達と同じ地球の上の生き物であることを改めて思い出させます。生命力旺盛な木々は輝くような美しい新芽を一斉に吹き出し、回りの空気の中に力と希望を迸らせています。隣の木々と枝と枝を絡ませて広がっている様は植物の時間軸から見ると激しい争いが行われているのでしょう。★この季節になると弱っている樹の幹や枝に真っ白いガウンを羽織った貝殻虫が張り付いているのが見られます。柔らかな新緑の枝の股をねらって木々の樹液を吸い取ってゆきます。梅雨の季節とも成ると回りに分泌液を振りまき、葉っぱや枝が炭のような膜に覆われます。そして樹の生命力を少しずつ奪い取ってゆきます。本当に憎たらしい虫です。★この季節の私の楽しみはこの白い悪魔を退治することです。針金のように先の尖った物で一つずつ突いたり、つぶしたりすると中から葡萄色の液体が幹の上に広がります。動物の血液みたいで気持ちの良いものではありません。無数にあるときは軍手をつけ、こそげ落とします。奇麗に取ってやると樹はまた元気を取り戻します。盛夏になると樹は再び生き生きした葉っぱに覆われるようになります。★先日も貝殻虫の大好きなサルスベリの幹や新芽に無数の天敵を見つけました。一昨年から気になっていましたが、私の闘争心が萎えていたこともあり、目をつむっていたのです。「今年こそは殲滅してやるぞ」と脚立を取り出し、一時間半ばかり格闘をしました。サルスベリの上から下まで、ぐるりと一回り枝から枝へと見つけてはつぶし軍手は葡萄色に変わっています。去年煤のように黒くなった幹を手袋でゴシゴシと磨いてやると肌色に鈍く光ってきます。ヒンヤリとした樹の肌触りは私の掌を通して私の気持ちを和らげてくれます。樹の肌には石とは異なる生き物の持っている暖かさが感じられます。私と樹の間には言葉さえありません。しかし、さすったり、撫でたりしていると何か通じるものを感じます。肌を通して植物と動物の違いはあっても同じ惑星に生きている者同士の連帯感の通い合いがあるのかもしれません。私達は言葉で自由にお互いの意志を通じていると思っていますが、其れよりもっと根源的な『なにか』が有るに違い有りません。今更ながら私は日常生活の中でそんな『なにか』を大切にしたいと思います。情報化社会、人類の英知の賜も『なにか』を我々が忘れた時、その時は神から人類は見放される時かもしれません。 
6月
初夏には真っ白い花が似合う。瑞々しい緑陰に咲く空木(卯ノ花)の花が夕暮れの仄暗い夕闇の中に浮かび上がる。肌がヒンヤリ感じられる空気の流れの中に甘い香りが忍んでくる。そんな卯ノ花の清楚な佇まいに心がときめく。★【卯ノ花の匂う垣根に 時鳥 早やも来鳴きて 忍び音もらす 夏は来ぬ】佐々木 信綱★文語調の意味不明な言葉の流れがかもし出す昔の小学唱歌の中で、子供の私が爽やかな季節感が感じられた『夏は来ぬ』。一番好きだった唱歌。初めて聞いた時から「卯の花って白いんだろうな?」「時鳥はどんな鳥なのかな?」と、私の育った土地では見たことも、聞いたこともない花鳥に思いを廻らしながら未知の世界に誘ってくれた歌だった。この年になって初めて卯ノ花の美しさを知り歌の意味が心にしみ入って来る。しかし、時鳥は未だ見ない。この鳥が岡山県鳥というのに。だけど子供の頃意味も理解しないまま覚えた日本の歌が年と共に姿、形が見えて来ることが嬉しい。★緑の絨毯の上を白いボールが浮かんだり、転がったりしながら糸に操られている様に十一名の人の間を結ばれて行く。ボールは意志を持った神の様に芝生の上で人々の運命をもて弄んで行く。短い時空の中で、冷酷さと歓喜を持って何万人、何億人もの観衆の心を一つに紡いで行くサッカー。いよいよ日本と韓国でワールドカップが始まる。★長い間日本国民に愛されているベースボールは、日本文化の中で野球に変貌した。戦後の経済成長と共に野球はあまたのスター選手を輩出しながら国民的球技へと発展した。長島、王選手がジャイアンツで活躍し、優勝する事に歩調を合わせる様に私達の生活は豊かになり、国の経済力も発展した。国民は滅私奉公の成果を、喜びと満足感の渦の中で満喫した。日本は世界を制覇した様に慢心した。日本の優秀な官僚制度の指導のもとで社会の為に働けば満ち足りた一生を保証されると錯覚をしていた。★プロ野球ではいつの頃からかスター選手より監督が目立つ様になった。長島巨人、星野中日など本来球技の持つプレイヤーの個性の躍動に心を虜にされていた野球が、管理され勝ち負けが目立つスポーツに変貌していった。それと共に日本経済にかげりが見え始めた様に思える。そして、若者の間で新しい球技サッカーが人気を持ち始めた。世界は物を作る経済から、情報を主体とする社会に変ぼうを始めた。単一的な集団の力から個性の集合した組織へ、固定した価値観から柔軟性のある集合体へと変化した。★日本の社会は過去に成りつつある経済大国の呪縛から抜け出そうともがいている。新しい日本の価値観、秩序を作ろうとライオンは髪を振り乱して孤軍奮闘している。六十余年、いや明治維新以来に出来た社会を変革するには又同じだけの時間を必要とするかもしれない。しかし新しい秩序感を持ったサッカーが若者の中で成長すれば社会の変革もそんな遠くないであろう。中田選手を始め代表選手、野茂、イチロー選手達の異文化社会での活躍は新しい日本人の未来が決して暗いものではないことを予感させてくれる。 
7月
日本中をお祭り状態にしたワールドカップも今日で終わります。夏休み最後の日、人気のない砂浜で楽しかった日々を思い出して感傷にふけった事を思い出させてくれます。スポーツの分野でサッカーが、既存の野球に比べ少し変化した形で若者、子供たちの生活行動の中に抵抗無く受けいれられていることに時代の変化を感じさせられます。個々のプレイヤーの創造的躍動感とチーム全体の戦略が織りなす時間的変化がゴールと言う終結に我々を興奮に導きます。日本の野球がゲームの中で誠に人間臭く、日本社会的縮図をきわだたせています。野球と言うスポーツが戦後の経済躍進の象徴であったように、サーカーは将来日本の社会構造変化のシンボルになる予感さえします。★私達が子供の頃、川上、藤村そして長嶋、王、金田等のプロ野球のスター選手に憧れ草野球に現を抜かしたように、今の子供たちがベッカム、ロベルト、カーンや中田、小野、稲本などのサッカー選手に憧れ、大人になることでしょう。その時きっと、日本の社会価値観は変わるでしょうし、変わってないといけないと思います。其れがプロスポーツ選手たちの持っている社会的貢献であると思います。★人の世を和して変革するには時間が必要でしょう。改革の号令で始まった政も、民営化と具体的な段階になると議論が白熱化しています。進めようとする人、現状を維持しようとする人、今の日本を少しでも住みよい国へと国を愛して努力されていると信じたいものです。全ては時間が結論を下してくれます。多様性のある価値観を持つ明日の日本人の出現が待たれます。ワールドカップに出場した多くの国に色んな肌の人々が見られます。文化基盤が異なる人々の集団は単一文化の国より多様な価値観を持つことでしょう。私達の代表選手の中に沢山の新しい日本人を見つけられたとき、きっと新しい日本が羽ばたいているでしょう。その為にも私はしっかりとした移民法が早く検討され、実施される必要があると思います。★私は時々去年の今頃のことを考えます。考えるというより、思い出そうとします。幾ら思い出そうとしても白い霧の中を彷徨っているようで、失った二ヶ月間でした。その間に私の回りの人々は生活をし、生きていたかと思うとどう理解すればよいのか戸惑います。私の大学時代の友がいます。数年前、肝不全が日毎悪化する時に電話をくれたり、遠方から見舞いに来てくれました。先日その友が電話でこんな事を言いました。「なあ、杉本最近の『院長のひとりごと』はくどいぞ。昔の様にさらっと書いた方が良いぞ。」私は思わず返す言葉もなく、たじろぎました。自分でも最近懐古調でくどく、変化に乏しく面白くないなと思っていました。★最近私の感覚が敏感になったように思います。見る物、聞く物、触れる物、食する物など皆新鮮です。映画「カサブランカ」の中で歌われる名曲『時の過ぎゆくままに』の言葉の様に私は自分に素直な感情に身を任せ、在るがままに明日を迎えたいと思います。その為にもこの一秒が過去であり、未来なのでしょう。★友よ!今月もくどくなったことを許せ。 
8月
日本真夏の夜の風物詩といえば、幽霊、人魂、怪談と定番になっていたのは何時頃までの事でしょう。生ぬるい湿った夜気が肌に張り付くような時、すっと冷たい流れが時折思い出したように通り過ぎてゆきます。静寂と空気の淀みの中で首筋を汗が一筋、つっと流れて行きます。忙しげに団扇をバタバタと仰ぎ、僅かの涼を呼び込みます。ぶ〜んと蚊が一匹耳元を通り過ぎます。天空には白い帯のような天の川が拡がります。暑さだけが夏だった。そんな時代が日本の津々浦々で見られたものでした。こんな風景が消えてしまったのは何時の頃?テレビが普及した頃、クーラーが家庭に進入した頃、夏の幽霊話も一緒に消えてしまいました。そんな頃、大人が子供を集めては怖い、怖い話をしてくれたものでした。話に夢中になると、私は闇の世界から白い手が伸びて来るのではないか、背中を緊張させました。怖がっているのが他の子供に悟られぬようにしかめ面をして我慢もしました★『一枚、二枚、三枚・・』お岩の数える皿の枚数、声は隠滅として響き、楚々とした後ろ姿が振り向くと息を飲むような美しさ。そして顔半面に浮かぶ緑色に変色した皮膚に浮かび上がる暗赤色に隈取られた潰れた眼と、崩れた肌。暗い舞台に仄白く浮かび上がるその姿に観客は水を打ったように静まり、背中に冷たいものが走ります。これも夏を涼しく過ごす知恵だったのでしょうか。★夏の出し物には『番町皿屋敷』とか化け猫物、ろくろ首の美女物とか有りました。あれは何処に行ったのでしょう。★私たちの心の中に『怖い』感情が芽生えるとき、他人の心を推し量ったり、『怖さ』の実体を知りたくて探求心が出てくるのでしょう。『喜び』が大きければ『悲しみ』は深くなり、人を『愛すれば』、『憎さ』も増してきます。『生きたい』と思えば、『死にたい』気持ちもなくなります。心の安定は相反する感情の微妙なバランスに支えられ揺れています。★釈尊は般若心境二五六文字の中で私たちに生きる知恵を教えてくれています。「人間は苦しみの存在である。生まれながらにして苦しみというものを背負って生きている」。私達は生を受け逃げることの出来ない四つの苦、生きる苦しみ、老いる苦しみ、病になる苦しみ、死ぬことの苦しみを真に平等に背負っています。その上「なぜこんなに悩まなければならないのか」、「なぜ人を憎まなければならないのか」、「何故あれ程愛した人と別れなければならないのか」、「求めても、求めても得れない苦しみ」この四苦で「四苦八苦」と言われています。苦しいことが生きている喜びと思えれば私達は救われるのでしょうか。
9月

目にも定かではないような風が木々を抜けて居間のカーテンを揺らした時、突然舞台が暗転した様に夏は秋に様子を変えて行きます。その風は8月  日の早朝私を訪れました。日本の四季の変化を感傷的に感じるのは思いがけずにやってくる夏の終りでしょう。昨日まで陽光に向かって濃緑色に輝く葉っぱを振りかざして闘いを挑んでいた木々が、嘘の様に秋風の魔法に絡めとられて打ち拉がれる姿を晒しています。闘い負けてコーナーに重い腰を下ろし脚を投げ出し座っているチャンピオンの指間から零れ落ちた栄光と現実の狭間の虚脱感にも似た放心した瞳の中に初秋の景色が重なってきます。★しかし万の神は自己の時間を果敢に戦った者には、次にくる新しい芽を枝につけてくれます。廻って来る春には瑞々しい新しい生命の息吹を生きとし生きるものに分かち与えてくれます。中には自然の猛威の前に力尽きる者もあります。しかしそれは自然の中で種が生存するために神が与えた掟かも知れません。★突然話が変わります。私の孫も  ヶ月を迎えました。“孫は目の中に入れても痛くない”と言いますが“そんな馬鹿な”と思って冷たい眼差しで見ていた私でした。そんな私が“なんで”と思うほど“孫メロメロ族”に変身したのです。私の顔をまじまじと見て、にっこりしてくれると、私の全てが孫の中に吸い込まれそうになります。白桃のように透き通った頬、ギュウヒのお菓子の様な柔らかく、滑々した手足、汗の匂い全ての存在が私の心を和ませ落ち着かせてくれます。飽かずに見ていると“俺はこの生き物の何を見ているのだろう”と思います。私の行う手の動きをじーっと見つめ何となく同じ動作もどきの事をする様になりました。生物ではタコ等下等動物でも出来る、観察学習、即ち猿真似初級編の状態です。そして数年もすると高度の記憶を徐々に獲得して、言葉を操り知的生物に変わってゆくのでしょう。孫の中に自分の4分の1の存在を見つけたくて見つめているのか知れません。それは地球上生物発生以来の長い細い糸の先を見ているのです。

最近読んだ本に『イヴの7人の娘たち』があります。最近の遺伝子科学の進歩は地球上の人々の母親を7人までに絞り込むことが出来たそうです。そうなのです。地球上の殆どの人は親戚なのです。まして日本においては・・。子と孫を育む愛情は言語、文化、宗教、民族、肌の色は異なろうとも共通の生きる喜びであり、人類の共通語なのです。 ★日本の人口が急速に減少しています。個人の問題より社会構造の変化の影響が強いことでしょう。これから、子供を持たない人が増えて、持つ人との人口比率が大きく変わった時社会はどのような変化を遂げるのでしょう。たった百年後日本の人口は約半減します。その時曾孫にどんな光景が待っているのでしょう。

10月
私の家の御不浄のじゃのじ窓の隙間から庭が見えます。鉢に植えたススキが夕陽の中で小さく白い綿毛の様な穂を輝かせています。無心な無防備な態勢から垣間見られた小さな窓、目隠しの隙間からの日常の風景は心の襞の中で隠れています。何かの時に一枚のフィルムの様に唐突に浮かび上がってきます。学生時代一人旅した時男鹿半島の民宿の窓から見た夕焼けの日本海、田圃の真ん中にあった中学校、目隠しの間から見えた黄金色の稲穂、等など。次いで乍ら男女機会均等時代といえ、良くぞ男に生まれけり。大自然を前に心の底から洗われるあの瞬間。そして餓鬼共と海に向かって飛ばしっこしたあの元気さが年とともに懐かしい。★中秋も過ぎ、晩秋が足早にやって来る。周りの落葉樹の間から青空が透けて見える様になり、木々は暖色系のグラディエーションに変わって来た。人生の晩節を見ているようで身時かな親しみを感じる季節だ。是から葉っぱを落とし根元を覆い、来春の新しい命の肥やしに成るのだろう。この地球生誕以来粛々と営まれている生き物の輪廻がここにも見つけることができる。しかし一種類だけ道を外れた生き物がいる。★最近「タマチャン」、アザラシが事も有ろうか都心部の最悪汚染河川に出没をしてマスメディアのおかずになっている。何とも平和な風景である。一方北朝鮮拉致事件の承認問題で国全体が揺れ動いてる。この二つのニュースがニュウスショウなる、井戸端会議的な場所で話題にする事に私は目眩を感じる。脳天気な平和ボケ症状と国民の生命と国家の問題を軽々しくも同じ俎上で主観的に垂れ流すマスメディアの主体性の欠如こそ大きな問題だ。故なくある日突然神隠しにあった様に消えた愛しい子供、家族。その家族の数十年に渡る苦しみ、苛立ち、不信感は如何ばかりであった事だろう。拉致が事実あった事が判明した今、テレビメディアはメディアの責務を全うしようと努力しているのか。多くのテレビは見るのも憚れる様な悪臭悪態をていしてないか。是で言論の自由を金科玉条の様に主張できるのか。私達国民も国家との関係を冷静に考えよう。国家は国民の主権、生命の安全、財産の保持を守るために存在しているのではないか。立法府たる政府は与党より成り立ち、その与党は私達国民が選んだ国会議員より成り立っている。私達が彼等に信託できない時にはどうすれば良いのか?★私達は国家の有り様が判断できる正しい情報と論評を望んでいる。メディアのある必要性は其所にある。美味しい食事、へたくそな可愛い子ちゃん歌手も必要だけど、本来のお仕事もお忘れじゃあありませんか。
11月
例年より少し早めの木枯らしが吹く。庭先の浅黄色や薄紫の小菊が急に魅力的な顔つきに変わって来ます。秋の空気の変化に私達の色彩感も微妙に影響されているようです。刻々変わる日差しの具合や、風の湿り気、空気の冷たさで私達を取り巻く世界への心の細やかな変わり方は季節の変化のせいでしょうか。そんな日常生活の中、骨張った梢に残る赤絵磁器を思わせる艶やかな実が深い青空の中に浮き立つ風景は秋の静寂の中に華やかさを感じさせます。柿の葉の燃え立つような新緑にキラキラと輝く五月の季節、逞しく力強く太陽の光を受け止める夏の季節、根来漆の野性味のあふれた朱色と緑をモザイク模様に盛りつけた晩秋、黒々と座っている枝の冬景色。朝露の中、七宝焼きのような美しさで大地に横たわる落ち葉の美しさ。季節の変化を色彩に変えて私達に日本の美しさを教えてくれる樹木です。★それにも増して果実の多彩な美味しさはみなさんご存じの通りです。渋抜きをした西条柿の独特な味覚感触と甘さの混じり合った美味しさ、まっすぐな甘さと燃えるような赤さとの手に余る柿の王様御所柿、熟し柿の透明な美しさと痺れるような美味しさ。★干し柿の半熟の美味しさ、白く粉を吹いた干し柿。なんと柿は自然の香りに充ち満ちているのでしょう。全国津々浦々には私の知らない柿がもっとあるようです。柿こそ日本を代表する果物です。皮を剥くのが面倒と若い人には人気がないようですが、日本人として是非若い人には食べ続けて欲しい果物です。(柿は他の果物に比べカリウム含有量が多い為、一日一個ぐらいに辛抱してくださいね。)
12月

足の長い冬の日光がガラス越しに縁側から少し黄色くなった畳の上に寝そべっている。背中一杯に陽差しを浴びて足の爪をつんでいる年老いた爺さん、着物の上に首を伸ばして目をつむって丸まっている白い猫。傍らでなんと無く座っている小さな鼻垂れ小僧。小春日和、冬の朝、私にはこんな風景が脳裏を去来します。★私の爺さんは明治中頃、瀬戸内の島に生まれました。大東亜戦争も終わりに近い頃二人の息子も戦地に赴いたため、長きに渡り過ごした満州の地から祖母と私を連れて古里に帰ってきました。三歳の私が小学校に上がるまで、よく絵本を読んでくれていました。まだ新しい絵本なんか手に入る世の中ではありませんでした。満州から持ち帰った講談社の絵本を毎日のように読んでくれました。『東郷元帥』、『乃木大将』戦時色の強い勇ましい奇麗な本でした。膝の中で、日溜まりの温もりは爺さんの事を私が覚えている数少ない世界です。爺さんは寡黙な人でした。学校の先生だったせいでしょうか、几帳面で、誠実な人でした。私は爺さんの側に何時も居たようです。何か話をした記憶は爺さんが亡くなる私が二十歳の頃まで殆ど記憶にありません。しかし、私がこの年まで行動している習性はどうも子供の頃爺さんの傍らで見よう、見まねで始めたことが殆どの様で驚きます。★裸電球の下で火鉢に霜焼けの手をかざし、ラジオに耳を傾けたのも爺さんと一緒でした。志ん生、可笑、金馬等の落語に顔を見合わせてくすくす笑い、三門 博や虎造、東家 浦太郎の唸りに聞き入ったのも小学低学年の頃でした。今でも落語を楽しむのもそんな時間があったからでしょう。★爺さんは時間があると縁側の暖かい午前中、薄い和紙を帯状に切り、コヨリを作っていました。両方の指を摺り合わせると細くてピンとしたコヨリが手品のように出てきます。同じ長さで、太さで、堅さの紙の糸が紡がれます。私も真似をするのですがグスグスで、不揃いでピンと立ちません。何度やっても、何日やっても一向に旨く行きません。爺さんは其れをみても何も教えてくれません。仕方なく又手元を見ては真似をしてどうにか様になるようになった頃何時のまにか止めて今に至っています。今やっても爺さんのように旨くできるか試したことはありません。★改めて自分の辿った道を振り返ると、爺さんが私に残してくれた生活の知恵はとても書き尽くせないほど沢山あります。爺さんと孫、家族の妙を感じます。父親の存在は余りにも生々しく、男にとっては人生最初に対面する挑戦者なのでしょう。子供が自我に目覚め乗り越える目標に耐えうる男、そんな父親が理想なのでしょう。