1997年『院長のひとりごと』より
6月
 春にはあんなに沢山あった緑の種類も、日一日と深い緑に変わって行く庭の木立や、山々の木々。近くにより掌の上に一枚一枚並べると円く小さな葉っぱ、細長くギザギザの葉っぱ様々な個性を見せてくれる。初夏の樹は人様で言えば青春真っ盛り。春先には無事大きくなるだろうかと木を揉んでいた植えて二年目の細い木も、この時期に来てすっかり逞しく力強い艶やかな枝葉を空に伸ばしている。貝殻虫の沢山ついていた株立ちの一本のエゴの木は葉っぱの数も、色にも元気がなく生命の衰えが目立つ。冬の間に一生懸命、憎き貝殻虫を捕ってやったのに残念。しかし、新しい株の若木は生き生きした新芽を伸ばして息子の様に伸びて行く。毎日触ったり、声をかけてやると命が通いあえるような錯覚を覚え、庭の木々がいとおしく感じる。私はひょとしたら病気かなと、時々心配になる。★植裁をして5年も経つと、隣の木と樹が枝を絡ませたり、被いかぶさったり、喧嘩したり、じゃれあったり、恋に陥ったりする。そんな時は優しく枝を払ったり、似合いのカップルに仕立ててあげるのが訳知り顔の家主の出番である。此の季節は成長期のため、心を鬼にしてバサバサと枝を切り、若芽を切り捨て家主の権力を目にものを見せてやる。若いときに躾が大切と私の爺さんも言っていた。花の終わった皐は角刈りにバリバリ狩りまくり、混んだ楓の枝は容赦しない。こんな、威勢の良いことを言ってもいざとなると、可哀想で手加減をしてしまう。此の世界も生まれたばかりの新芽は油虫に狙われる。油断も隙もない。見つけ次第私は急遽救急隊員になって薬剤をまく。虫には可哀想だが、死んで貰う。★此の小さな世界にも命を張った縄張り争いが日夜繰り広げられている。私が少し上を向いて歩いていると、肥料を与え、散髪をしている可愛い芝生もいつの間にか、元気なカタバミや憎たらしい雑草に虐められてしまう。最近は下ばかり見て歩いているので、草を見ると知らない間に手が出てしまう。★雑草と言う草などは、此の世になくて君たちには悪いと思うが、たちまち私の庭ではあまり仲良くしたくないので、そのように呼んでも良いかな、木の下に這い蹲い、抜けない奴を此の野郎、指には引っかかりもしない小さな子供に同情して残すと、次には此の野郎だ。両手を使い闇雲に取れども取れども敵は止まることを知らず、腰はずん、ずんと痺れてくる。頭の中には雑草のことばかり、浮き世の雑念は遠く忘れてしまう。これこそ悟りの境地か。ストレス解消には草取りだ。新しい内科治療法の発見だ、悩み多いい患者さんにわが家の草取り療法を薦めてみよう。これこそ一石二鳥。にやにや、しながら又草を抜く。
7月

新聞配達のバイクのエンジン音が家並の間を小さくなったり、大きくなったりしながら近づいてくる。排気音の変化はリズムを作り、静かな夏の夜明けを刻んで行く。庭の樹の間を縫うように冷気の帯が部屋の中に忍び込んでくる。日中の猛暑を感じさせるような青空が朝日に輝く緑の葉越しに拡がっている。夏の太陽も此の時間には飼い慣らされた猛獣のように神妙に大人しくしている。 ★職員旅行で韓国、釜山に行った。有史以来私達に最も深い関係にあり、そして最も近い港町でもある。同じ根の文化が時の変化と共に異なる国となり、一方の国の玄関口となった釜山。そして古代には任那 、加羅、新羅等々の国々より沢山な人々が移り住んだこと。時代は豊臣秀吉の朝鮮出兵、近代の日韓併合、植民地政策、大東亜戦争と今日まで両国の間には複雑な感情が続いている。私は一度此の町から自分の国の位置を確かめてみたかった。それには今回の旅行はあまりにも短い時間ではあった。私の見た此の町は自分の思い浮かべていた、連絡船の出る港町という風情には余りにも違っていた。いや、違いつつあった。港を包み込むような小高い丘陵に囲まれた狭隘な港町には、人の発する熱風に沸き立ち、灼熱の坩堝の中に身を置いているように思えた。胸を突くような急斜面の山肌には高層アパートが乱立し、道という道は車に埋め尽くされ、道に面した壁面は赤や黄色等の原色の広告で満ち溢れている。夜の明けやらぬ時から車の騒音は擂り鉢の底から沸き上がるように拡がり、夜更けを知らぬように大気を揺るがせている。約四百万人という人口の躍動感は、平和で落ちついた国に住む私には、未来のアジアを予感させる意味不明な息苦しさを感じさせる。明日、香港は中国に返還される。百五十年前のアジアの状態を思い返してみると、香港は当時の中国、清王朝から紳士的に英国が租借したものではあるまい。弱者の喉元にナイフを突きつけるようにして、どれだけ多くの港を都市を西洋列強の国々は亜細亜の国から植民地として取り上げたかを私達は忘れてはいけない。東洋の真珠、自由貿易港として此の数十年を輝こうとも、その裏にある悲惨な歴史を消すことは許されない。しかし、その列強の中に遅れて西洋化した亜細亜の小国、日本帝国が存在したことも残念ながら事実である。現在、日本経済の繁栄も過去の歴史的理由はどの様であれ、多くの亜細亜の人々の犠牲の上になり立っていることを私達は忘れないようにしたいものだ。香港返還の機会に、何千年の長き年月を中華の文化の中で海に囲まれるという地勢的偶然に恵まれた私達の国の成り立ちをもう一度考えてみることが、二十一世紀を迎える時に必要なことと改めて思う。

8月
夏真っ盛りのこの時期にしては、雨の降る日が多いようだ。台風は3つも来襲し大雨を日本各地にもたらしている。子供の頃にはお盆もすぎ、二学期も始まると二百十日が近づいたと台風の季節を不安な気持ちで迎えたことを思い出す。近頃ではこの言葉もとんと、聞かなくなって久しいような気がする。

 ★この十数年世界の人口の爆発的増加其れに伴う地球環境の激変は、SF的に語られ描かれていた事象に、少しずつ現実的な気象変化現象として世界各地に引き起こされつつあるようだ。今まで経験のない様な地域での寒冷及び猛暑、少雨に伴う旱魃、大雨そして洪水、酸性雨による森の死滅等などきりがない。次から次ぎへ私達が今日まで想像もしたことない様な自然界の不自然に連続的な現象は、我々に将来への漠然とした不安を呼び起こす。その原因が何であるか、心の奥では薄々感じてるが、個人としては、どうしようもない虚しさと恐怖感だけが無意識に膨れて来る。 ★突然異常繁殖をした種が、普段では考えられない集団行動をとり環境に適応する数に調整する現象が自然界にはしばしば認められる。我々、霊長類人間も有史以来平和的世界をめざし未来を作ってきた。しかし、戦争、争いと言う二文字から逃げ出すことが出来ない。地球という舟に乗り合わせた生物は仲良く協調することが大切なのだろう。 ★十数年の紆余曲折を経て第三セクター「倉敷チボリ公園」が開園をした。北欧風のイルミネーションの輝く夜の公園を数日後訪れた。驚いたことに駅前に立地するにも関わらず、園内には車の騒音も届かず、余計な音もなく人の足音、話し声が気持ちよく響く大変気持ちの安らぐ空間であることだ。色とりどりのランプが、溢れるばかりの草花をうっすらと満月の澄み渡った夜に浮かび上がらせ、欅などの大木が黒々と夜空を覆っている。つい数カ月前までは荒涼とした空き地が緑溢れる公園になるとは驚きでもある。何百種を越えるこれらの樹木を運搬、移植するには莫大な金額が掛かったと思う。まして樹木の定着の悪い此の季節を思うと、少しでも枯れなければよいがと心配をする。しかし、十年もたちこれらの木々がこの地に長い長い根を下ろしたときは鬱蒼とした樹木に覆われた素晴らしい空間になるだろう。その頃、ほんの僅かな入場料で市民、県民が安らぎの一時を過ごせるようになれば約500億円の投資は無駄ではないであろう。       ルイ十四世がパリ郊外の湿地に作ったヴェルサイユ宮殿には広大なフランス庭園が幾何学的に広がっている。現在は鬱蒼とした大木に覆われ、世界中の観光客が訪れている。案内書を見ると完成時は木々も小さく今日の姿は想像できないが、設計者は樹の植生変化も考え何十、百年後の様子を織り込んで造ったそうである。日本にも名園は沢山ある。近くは高梁に小堀遠州の造園した瀬久寺の庭園がある。木に対する思いは同じように思える。インスタントなテーマパークの中で人と自然との関わり方が頭をよぎった。

9月
齢を重ねることは生活のリズム、習慣がいつの間にか変わってくるものだということが身をもって実感する今日この頃です。頭髪が白くなれば、着るものの色合いも変わってくる。暗くなれば小さな文字が見づらくなり、近くの活字は近眼鏡を外さないと読めなくなる、いわゆる老眼である。 涙腺は緩くなりテレビドラマの内容に関係なく、いたいけな子供が出てくるだけで、画面がにじんでくる。腰の曲がりはないが、階段の登り下りには膝が痛む。幸い義歯はないが、食べ物が歯の間に詰まる。モヤシなどの野菜を食べると、口の中は水槽の中に藻を植えたようにユラリ、ユラリと繊維が何時までも揺れる。 日々体を張って老人臨床実習を体験できる。医者として喜ぶべきか、悲しむべきか。★最近訳もなく夜明け方、目がパッチリと醒めてしまう。起きあがるには早いしと、布団の上に座り、今見終わった夢の内容を現の事のように、脳細胞にスイッチが入らない頭で思い起こす。白い皿にこんがり、パリッとキツネ色に焼き上がったアップルパイが一つ。しっとりと女性の寝姿の様に横たわっているバナナケーキが一つ、目の前に見える。 皿を囲んで四人、妻と子供達がケーキを一つづつ食べ終わったのか、舌でチョロチョロと口の周りを舐めている。未だ食べ足りないのか、二つのケーキが気になるのかお互い目をさまよわせ、声を懸けるのを躊躇するかの様にちらちらと目線が、ケーキの上で交差する。私も甘酸っぱい歯触りのよい、パイ生地のアップルパイにしようか、クレープに包まれた、とろける様に甘い香りのバナナケーキのどちらにしようか、しきりに悩んでいる。四つに切って半分づつ、それとも両方かと、思いながら、ナイフに手をかけたところで目が醒める。アップルパイ、バナナケーキを最後に口にしたのは何時のことだったのだろう。なんでこんな夢を見たのかなと思いながら、起きてしまうには早すぎると目を窓の外に転じる。 ★東の空は晴れ渡り、広重の浮世絵の空の様に藍色に染まった天空と、山端の曙色に掃いた夜明けは、網戸越しに紗のかかった風景画。日中は日差の強い八月末も、耳をすますと薄暗い夜明け前の庭の草むらより、虫の音がもれてくる。時折、風というより、ひんやりとした空気の流れが室内に忍び込み、思わず夏掛けのふとんを腹にまく。今年の夏は、スイカがおいしかったなと何の脈略もなく真っ赤な色が浮かんでくる。二人の患者さんからいただいた自家製のスイカはそれはそれは甘く、瑞々しくおいしかった。Oさんに頂いた一抱えもある少々楕円形の大きなスイカにはみんなで笑ってしまった。 Oさんは今年の種を買うのを忘れてしまったそうで、急遽、去年のスイカから取った種を発芽させたそうだ。少々時期が遅くなったので、自分のはらまきの中で三日暖めて、そして発芽させ、植えたそうだ。そのスイカは雄大な夏のエネルギーと愛情を宿している様においしかった。秋の風が忍んでくるとスイカは頭の中から遠くに去ってく。虫の鳴く時間も日一日と長くなり、ツクツクボウシもいつの間にか消えて行く。赤とんぼが乱舞し、木々の葉は黄ばみ、時は巡る。夏は確実に秋になった。
11月
日一日と虫の音が昼間に忍び込み、か細い声が、草むらから聞えてくる。太陽が下がると共に草木の陰は長くなり、人の足音も低く、軽く響いて聞えるようになった。季節の虚ろいは、私達の五感を通じて自然との結びつきを教えてくれる。★台風が西日本に迫り、雲行きが急を告げるような日、大学時代の同窓会で熱海に行った。卒業して丁度30年となる。飛ぶように流れる車窓の風景を見ながら、蒸気機関車に乗って初めて、それも一人で上京した日の事、糸がこんがらがったように纏まりのない学生生活、インターン闘争、そして、その時代の諸々のことが取り留めもなく流れて行く。新幹線が出来る前は東京から故郷因島まで十数時間の船と汽車の旅だった。夜行列車の木の床に塗って在った油の匂いと、天井にポツン、ポツンとダイダイ色に鈍く光る車内灯、レールのゴットン、コットンと規則正しく響く子守歌が思い出される。新幹線が新大阪まで開通した時は、初めて飛行機に乗ったぐらいに興奮した。明るい内に東京から家に帰れる不思議さと、日本の国が大きな力で前進している事が体感出来たことだった。★熱海の会場は昔、横山大観が逗留したとゆう由緒ある日本旅館だった。駅裏の伊豆特有の急阪を登ると、眼下に太平洋を見おろす高台にあった。玄関を入ると見慣れた顔が『よう』、『お金』、『おい、久しぶり』。部屋までの廊下を歩くと、部屋部屋に懐かしい名前が張って在る。名前の中から、詰め襟姿の顔や、アイビールックの姿などが浮かんで、その上に数年前の中年姿の容姿がだぶって消えて行く。★大広間に集まり宴会となる。初老と言っては可哀想だが銘々席に着く。酒も少しは入り『おい、おい』と目が合うと禿げたおじさんも、髪の少なくなった小父さんもタイムトンネルに入ったように学生時代に戻って行く。同窓生の約三割が集まる。大病院を造ったのも、親の跡を次いだのも、郷里と関係ない所で開業したのも、教授になったのも、フリーターだと一緒に山登りをしていた頃と変わらなく飄々と嘯いているのもいる。癌の末期で出席出来なく残念だと友に託したのもいる。天は100名の卒業生にそれぞれの生きる機会を与えてくれたようだ。私達の親の時代と異なり、自分の力で人生を選択出来る時代に生きれた幸せを感謝する。同窓生の中で学生時代のイメージと現在の社会的地位の一致しないのが数名いる。其れは教授になった同級生だ。自分がアカデミズムと全く縁がなく今日まで至った証拠のように思える。★庭の木々も残暑で疲労が目立つ。春先にはどの木々も燃えるような生き生きした新緑を競ったものであった。夏には緑の色を楽しませてくれた。秋の季節まで葉っぱを残せなく枝だけになった夏椿やはなみずき。この冬は肥料と、手入れをしてやらねばと思う。
12月
冬の夜は6時だと言うのに夜の帷に包まれている。駅から船着き場に通じる人気の少ない商店街を歩きながら、忘れかけていた冬の夜を背中で感じる。この港から因島へ渡るのは初めてだ。船着き場への地下道は青白い蛍光灯の明かりに照らされゆっくりと右にカーブを描きながら下っている。人気のない初めての地下道を歩くときは不安感が襲う。いつの間にか早足になり出口に向かう。カーブを回ると黒く仕切られた空間が見えほっと歩幅が落ち着く。なま暖かい空気の流れに磯の香りが混じり鼻腔をくすぐる。久しぶりの友との再会のように、思わず口元が緩む。乗船券売場は閑散として少し湿った冷たい潮風が通り抜けてゆく。暗い港に街灯が揺れている。桟橋に係留した連絡船がときどき桟橋とこすれて、ぎーぎーと泣いている。★連絡船の船尾デッキの椅子に座る。薄暗向かいの長椅子に黒ずくめの女の子が座って話している。『今から帰るけえのお。じゃ ねー』携帯電話が白い手の中にある。ぽつり、ぽつりと乗客が船室に入ってゆく。桟橋にいた兄ちゃんが唐突にもやい綱を解き、船は暗い港を沖に向け走り出す。港外にでると船足を早め黒々と横たわる島に向け風を切って進む。町の周りの高台は住宅団地なのだろう、光が澄み渡った冬の空気の中で溢れている。★船は急速に速度を落としながら、黒い島影の中に飲み込まれてゆく。浮き桟橋の赤い電灯が丸い輪を夜から切り取っている。港を取り巻く家並みが、山影に黒いシルエットの様に朧気に見える。小さな集落の中に吸い込まれるような細い路地の出口に、街頭が1  つ、2つと点っている。数人の乗客が急ぎ足で、桟橋から船着き場の夜の中に消えてゆく。再び動きのない夜が帰ってくる。エンジンが唸りを高め港を出てゆく。白い航跡が船の淡い光の中で生まれ消えてゆく。