1996年『院長のひとりごと』より
2月
池塘を渡る風が細かい漣となって結ぶ。水面は、体を震わせるような寒い風がぴたりと止むと山陽路の初春の光に満ちあふれた暖かい光をキラリと反射させ新しい生命の再生の近いことを教えてくれる。冷たい地面をはいつくばって冬を越した雑草が池を囲む臼茶色の丸い土手の上で少しずつ体を伸ばし始めたのが感じられる。名も定かでない小鳥達が池をとりまく小高い丘陵地の雑木林の枝から枝へと声を響かせながら飛び移る。吉備の地にはほんの少し人里を離れた雑木のうねる丘陵地の狭間にこんな風景がひっそりと残っている。命の燃えいずる春の足音が聞えてくるまだ寒さの厳しい如月にはいった。★最近私はあるテレビ番組を楽しみに、仕事を終えると家に飛んで帰る。金曜夜8時から始まる時代劇、『とおりゃんせ』、北原 亜以子作;江戸深川澪通り木戸番小屋:江戸深川の下町庶民の日々の出来事を淡々と書いたドラマだ。若い木戸番夫婦がいて、道をおいて年老いたお節介焼きの老夫婦がいて、そして町同心、岡っ引き。木戸と木戸の間に住む人々が露地を挟み、薄い壁を、たった一枚の壁紙を隔てて笑い、泣き、怒鳴り人生の無常な仕打ちに身をよじって喚き、隣人の幸せにはわが子の事のように喜び合い一日一日が暮れて行きそしてまた朝を迎える。。風邪がはやれば昨日まで元気に遊び回っていた子供が死にそうになり、親は成すすべもなく神に命ごいをする。身よりのない年寄りを自分の親のように親身に世話をする人達。そんなドラマをみていると忘れかけていた背中のかさぶたにふと指先がさわり、何となく心地よく痛がゆい心地よさを思い出させてくれる。そんな生活がつい四、五十年前まで全国の町や村、津々浦々であった事さえ、遠い昔のそして国での出来事のように思える。★このドラマの始まる前の時間、他チャンネルにこんな番組があった。『女になりたい50人の男』普通の男性、姿格好の良いの、悪いのがお化粧をして、女装をして品を作る。それを元、今男性が値踏みをするおぞましさ。『かわゆい、きれい!』聞くに耐えない言葉でいわゆるタレント、司会者が場を盛り上げる。真夜中の番組ならいざ知らず、夕方7時の家族団らんの時間に許せない。報道の自由、言論の自由その前に社会の常識があるとゆうものだ。昔日本文化の特色は”恥の文化”と言われたものだが、いつの間にか”恥を出す文化”に変わったようである。★”日本は世界一、21世紀は日本の時代”とか言われてのぼせ上がっていたと思ったら、何兆、何千億円とか途方もないお金が闇に消えてしまったらしい。背広を着たわが国をリードしてきた人達がやれ政府の、銀行の、農林金庫の等々責任の擦り合いである。持ち慣れない大金を持った国の喜劇、悲劇。富士山には月見草が似合うように、日本の国には貧乏が似合う。
3月
この冬は近年になく暖かい山陽路に似つかわしくないほど雪模様の日が多かった。透析医療に携わっていると四季折々の気象の変化がなにかと気に掛かる。雨が多ければ出水が、又少なければ渇水、雪が降れば道路の状況がと、天気予報を見ては一喜一憂する。その様な時日本全国津々浦々の透析施設の地域それぞれの持つ、私達の想像できないような御苦労を思うと、天候、地理的条件、医療環境に恵まれた吉備の地で透析医療を継続できる幸せに感謝しなくてはならないと思う。★2月、雪の京都を家族3人で訪れた。”底冷えのする京都”と言われる古都の雪景色に以前よりあこがれていた。古色蒼然とした建物、山水の庭に白く降り積もった雪景色。それより、光の差し込まない古いお寺の本堂の黒光りする板の間から、じーんと伝わってくる大気の冷たさを背骨で感じたかった。生憎京都市内には建物の北側にほんの少し雪溜まりが残っているだけだった。洛中の北、大原まで行くと一面雪化粧だった。春、秋の観光シーズンには若者で賑わうと言うより都会のラッシュアワーの様な寂光院三千院も、観光客も疎らで閑散としていた。門前のお土産やさん、料理屋さんの前に置かれた赤い毛氈を敷いた番台に、日傘が雪景色の中で一際目に鮮やかだ。暇を持て余した店員達が雪かきを楽しんでいる。今回は観光タクシーを利用しての旅行で、座席に座って運転手さんの案内で目と耳を動かしていると名所旧跡、神社仏閣等を余すことなく教えてくれる。嵯峨野、嵐山等など整然と知識を詰め込まれたが、こうして書こうとすると学校の試験の時のように目の前に白い空間が有るようでなんにも思い出されない。今思い出す事は、三千院の庭で杉の枝に積もった雪が、突然降り懸かり襟首から背中に入ったこと。何とも情けない思い出だ。★静まり返った寒い教室。かじかんだ指。コツコツと前からそして後ろから響く靴音。自分の横をポマードの臭いをさせて通り過ぎる試験官。ふと目を上げると数十センチ前に背広の袖口から鼠色のセーターがのぞいている。その端から解けた毛糸がぶら下がって、遠ざかって行く。高校入試、国語の時間、試験の内容は全然記憶にないが、あの事だけは、袖口の毛糸の色だけは、鮮やかに思い出される。★私にとっての旅は、知らない風土そしてそれに育まれた過去から現在に至る生活の雰囲気を五感で感じることの様だ。目的を定めず気の赴くままに、西から東、露地から露地へ、見たり聞いたり触ったり臭ったりする旅は楽しく、刺激的で考えさせてくれ、心に残る。それに書物や地図などに味付けされた知識が有ればもっと楽しい。その後に得た知識を織りまぜながら歴史と地理などの関わり合いを頭の中で遊ばせるとき、ジグソウパズルが徐々に出来上がるような興奮を覚える。私達は祖先の残した遺産を大切に保存する義務がある様だ。何故なら、歴史は現在生きている我々に明日を考える知恵を与えてくれている。だから未来の自分の分身に過去の遺産をそして現在を残さなければならないと思う。★私の二十代から今日までそんなことを考えさせてくれた人が鬼籍に入った。日本という国を、そしてそこに住む人々を愛した人、司馬遼太郎。
4月

しーんとした林の中にも肌を押しつけてくるような生臭い空気のささやきが伝わってくるようなこの季節。足下の草たちが空間に向かって青々とした手を伸ばし始める早春。そんな中で赤いシミのように咲く椿が能力色のマントに包まれて顔を出す。★クリニックの庭の片隅に薄桃色で八重の椿が咲いている。その花びらは、白く透き通るような求肥に薄紅を差した乙女の頬のように美しく、薄明かりを増すと匂うがごとく妖艶さを増して心の中に余韻を残して行く。★先日、腎友会有志の皆様と南の島を訪れた。初夏を思わせる暖かさで夜中までテラスで話し込み翌日皆様にひんしゅくを買ってしまった。始めての南国の島、竹富島、は愕きで一杯だ。観葉植物のような濃い緑の木々は絡み合い、鮮やかで色とりどりなブーゲンビリア、赤花と呼ばれるハイビスカス、真っ赤な花を付ける奇妙なデクの木。サンゴの石を積み上げ橙色の屋根瓦の家々を囲む塀のつながりと毒々しいばかりに色鮮やかな花々。石積みの塀の間を迷路のように伸びて行くサンゴ砂の真っ白い道。私が慣れ親しんだ日本の風景とはあまりにも異なる日本に戸惑いを感じる。円い水平線、入浴剤を流したような青い珊瑚礁の中海、そしてどこまでも続く青い青い空。魚の色も違えば、住んでいる人々の顔付きもどこと無く違う。私達と同じ言葉を話し、そして全く異なる言葉を持っている人達。ここも日本の国と思うと、いろんな事が去来して独りでに俯いてしまう。★紅の椿と、真っ赤なハイビスカス。最近、私は椿の花を少しずつ好ましくなって行く自分に気づく。

5月

五月の空に鯉のぼり。長かった寒さの気配も”やっと”という感じで終わったようです。桜の花も例年になく長い間楽しめたのですが、桜はやっぱり思いっきりのよい開花と、散り際の美しさに尽きるようです。八百屋の店先の売れ残った大根じゃあ困るのです。この時期の山の姿は毎日、毎日が新緑で盛り上がり機能と同じ山とも思えないように変化します。昨夕には臼茶色の包からセミのふ化したばっかりの羽のようにくるまっていた新芽が、翌日には大気の中に飛び立つように拡がった緑の若葉に私は思わず顔がほころんでしまいます。庭の木立がミシミシと音が聞えてくるような生命の再生、春です。★それにしても、私には早春から気になることがあります。毎年、寒い冬の季節の間に小鳥が啄んで無くなっているはずのアクラの赤い実が枝が赤く見えるほど残っていることです。鳥達ははどうしてこの冬には里に木の実を食べに降りて来なかったのでしょう。その為か春にでるはずのアクラの新緑はまだ見えません。自然の中では植物、動物は目に見えない命の糸で結ばれて母なる地球で生きているのでしょう。私たち人間もその大きな輪の中でしか生きて行けないことをつい忘れがちです。こんな小さな自然の変化が、大きな変化の始まりの一つでないことを心配しながらこの春を迎えています。私が吉備の里、総社に来て今年で8回目の春を迎えます。開業当時は午後あいた時間を見計らっては自転車に乗って回りのたんぼ道をタンポポを踏みつけながら走り回ったものです。凸凹の畦道は、ハンドルは取られ、お尻は痛く走りにくく大変でしたがすれ違う車もなく気ままに楽しめました。そんな道も今ではみんな舗装整備され車が快適に運転できるようになりました。ついでに小川も白いコンクリートで綺麗になりました。そして、お玉杓子も、メダカも居なくなりさっぱりと整備、近代化されました。★昭和20年代、私は雲雀のさえずるレンゲ畑で小学校の授業を聞いていました。ほっぺたの赤い、眼鏡をかけた女の先生の話をみんな目を輝かして聞いていました。『アメリカの国では4人に一人の割合で車を持っています。そして道はみんな舗装をされています。日本の道は殆ど土の道です。』先生は戦争に負けた国の事を話すのが恥ずかしそうでした。進駐軍の配給で貰った一冊のノートは字を書くのがもったいないような、いままで見たこともないような真っ白い紙でした。そして半世紀、私たちは毎日自家用車を運転して、夢にまでみた快適な生活を手に入れ、享受しています。土の道も今では津々浦々の露地まで舗装され、山を崩し、木を切り、畑をつぶし、海を埋め立て高速道路は止まることなく延びてゆきます。★春になっても草も生えない畦道や山の細道、水草もなく、鮒もメダカの姿も見えない小川。どこか私たちの道は間違ったようです。50年前に目指した未来の夢の世界はこんな社会だったのでしょうか。高齢化する21世紀の日本に住む私たちがゆったり暮らせる環境。一度止まって考えても遅くないと思うのですが、それは私の春の白昼夢?

6月
 梅雨に入る前のこの時候は、山野に樹々や花の香りが立ちこめる。日が落ちると開けた窓の隙間から空気の帯に乗かったような笹ゆりの香気が頬をなぜる。思わず、人気を感ずる様に、空気の漂ってくる方に顔が向いて、暗い木陰を見つめる。薄紫色の画料を流し込んだ様な白い花弁をか細い茎で支え、叢の中に隠れる様に咲いている笹ゆりに初めて会ったのは美星町の松林だった。その姿と香りに魅せられて以来、私にとって胸はずむ季節になった。 ★先日近所の園芸屋に立ち寄った時、ポットに入った笹ゆりがあるのが目に入り、買い求めて我家に植えたところめでたく咲いてくれた。この難しそうな笹ゆりが来年も再び美しい姿を見せてくれる事が一年間の楽しみになりそうだ。 ★先日、父の法事で因島へ帰った。因島大橋より島の細い道へ車を進めると、車窓より甘酸っぱい、そして少し刺激のあるみかんの香りが飛び込んできた。丘を越え、家につくまでその香りは、車のシートにしみ込んで、追いかけてきた。高校卒業まで生活した島の風景は、黄金色に輝く麦と、白い除虫菊の花の縞模様とが小高い山々の上まで続き、みかんの濃緑色の陰影が、色彩のコントラストを作る。一枚の美しい瀬戸内のカラースライド写真の様に思い出される。その後、三十余年この季節に島訪れる機会もなく今日に至った。この日のみかんの香りの歓迎には、私の体の中で少々戸惑いが生じた。 ★島は、急な山を包んでいた緑豊かな松の樹々は白骨化し、段々畑もなくなった。橋ができ、それに続く広い広い高速道路が山を切り、島を横断して四国へ本土へ続こうとしている。島の人々の生活は便利になり、 島は島でなくなった。そして、私は、もはや島の人ではない。私が青春を過ごした島と今の島は同じではなくなった。

あの頃は私達の周りには蜜柑ではなく野菜や米や麦、芋等の作物があった。そう、みかんの香りは生活の場から遠く離れた山の上や、山影に息づいていた。時間が経ち、私達の生活様式は代わり、田舎の風景も変わった。そして、この島の生活の有り方も景色も変わった。蜜柑畑は田圃、麦畑に変わり、そして平地に降りてきた。みかんの甘い香りにも人間世界の色々な思いが詰まっている。今日、私達の接する自然は余りにも自然ではなく、人の手が関わりすぎている事と今更ながら驚いた一日であった。

7月

梅雨も止んでいる。薄明の中で白い沙羅の花は空を仰いで咲いている。黒く湿った株の回りの露の宿った下草の上に、夜の間に落ちたであろう四弁に黄色い雌しべの可憐な花が思い思いの姿で横たわっている。三年前の私の画帳をみると枝に真っ白くなるほど花が咲いている。6月17日と記されている。今年は約半月遅いことになる。★梅雨が上がると朝顔、風鈴、かき氷、夕涼み、花火等夏の風物詩があふれる季節がやってきます。朝顔に つるべとられて もらいみず 加賀の千代女
有名な一句が浮かんできます。先日、杉本クリニックが誇るピチピチギャル、若干名と団欒をしていました。小父さん(私)『つるべって、知ってる?』。若い職員(A)『つるべ?つるべエ〜 笑福亭 鶴瓶〜?』。若い職員(B)『つるべ… つるべえ  落語家?エエエ』。そこで小父さん話題を変えて『雪隠って知ってる?』。若い職員(A)『え〜 何イ… それえ〜 わからんわ〜』。若そうな女性(C)『ん〜 …お手洗い』。小父さん『まる』。ばんだい、遣り水、蚊遣を焚く、打ち水、かわず等など日本の夏を表す趣のあった語句、語彙はいまや風前の灯火です。★ベルサーチ、グッチ、ヴィトン、シャネル、セリーヌ、ディオール、イブ・サンローラン、プラダ、カルバン・クライン、ロベルタ、ジパンシー、ポロ・ラルフローレン、ミッソーニ、フェラガモ、バーバリ等々。皆様いくつの名前をご存じですか?若い脚の長いピチピチギャル達は『あれとあれは、持ってる け〜どお…、あれがア ほしい』と申され、多くの小父さんは『何でエ そりゃ〜』。おばさん『わたしはもっとる』。巷には舶来ブランドが溢れ豊かさで満ち満ちています。★私たち日本人はどうも横の人たちのことが必要以上に気になる性向にあるらしく、あの人が持っているから、しているから、言っているから、世の中で流行っているからと、自分の行動の動機に『横並び』傾向があるようです。ブランド志向という一見個性的のようで制服、画一的社会現象を引き起こしているのでしょう。これからの時代益々世代の幸福に対する価値観、人生に対する価値観は多様性を増してくることでしょう。そして、個々の個性をハッキリさせながら、違いを認めながら協調する社会が必要でしょう。国際比較調査によると「老人にとって大切なもの」第一位は日米ともに80%以上の人が家族、子供をあげています。最近の若者の各国世論調査では「年老いた両親の世話をしますか」と言う質問に、中国80%、米国55%、日本20%の若者は同意する、結果がでていました。★透析毎に息子、娘さんに背負われ、夫、妻、家族に介助され透析室に来られ、治療の間、手を体をさすりながら時間を分かち合う姿を見る度に私は人生の奥深さを教えられるおもいです。★四季折々、日常生活の出来事に驚いたり、悲しんだり、笑ったり、祝ったりしてくれる同伴者や家族が居てくれる人生が、豊かだったと思える自分でありたいと思います。

8月

夏は暑いものとわかっていても暑い夏である。真っ白い入道雲が天空に向かって延びてゆく”カラッ”とした真夏日は気分も良い。”むう”とした湿気の多い暑さは願い下げだ。★近代オリンピック100年目アトランタ・オリンピックが開催されている。日本の夏とよく似た気候と伝え聞くアメリカ南部のアトランタで何を好んでこの時期にスポーツの祭典を挙行することになったのであろう。オリンピック・ゲームがアマチュア・スポーツの殿堂から人類の持っている運動能力の最高峰を競う場になって久しい。見る人にとってプロ・アマを問わず世界一を競う死闘は興奮を呼び起こす。鍛え抜かれた肉体の美しさと、高度の技量は如何なるドラマより説得力を持つ。しかし、その袖の下にお金の力が見えかくれして、そのしわ寄せがスポーツマンに想像を絶する過酷な時間を強いている現実を考えると悲しいというべきか?ブラウン管を通しリアルタイムに伝わってくる選手の肉体的苦悩、喜びを、冷房の利いている快適な環境で観戦している我々。これを現代文明の進歩とするかは意見の分かれることであろう。★日本の夏はO-157大腸菌による集団食中毒症が、私たちの平和な日々を不安な日々に変えつつあります。7月下旬の今日、幼い子供達に襲いかかり、命さえも奪っています。未だ医療機関での集団発生を見ていないことに私たちは少なからず安堵をおぼえています。発生源の確定がされていない今日、私は地雷原を歩いているような不安感を覚えます。集団治療の血液透析医療機関において、この様な事態は絶対あってはならないし、許してはいけないことです。杉本クリニック全職員をあげて、医療環境の見直し、清潔、洗浄度の徹底に全力を傾けています。患者の皆さんも自分の、家族の方々の体調の変化が認められるときは直ちに私たちに話してください。皆さんと私達が一丸となって、未だ姿の見えない敵と戦い、大事にならないよう努力しましょう。★零が二つ並ぶ初めての「もみじ」を今月発行できました。8年と4カ月、中断することもなくよく続いたと思います。初めて操作するコンピューターの前で右往左往した創刊当時を懐かしく思い出します。そのことを思うと機器、ソフトの進歩には目を見晴らされますし、若い職員達の適応力の早さには感心します。私、院長の開業以前よりの夢であった透析医療の中での患者さんと職員の架け橋となる機関誌をつくることが、ここまでこれたことは皆様のご尽力の賜と感謝しています。今後も移りゆく時代の変化とともに杉本クリニックが紡ぐ糸になるよう職員一同頑張りたいと思います。

9月

「カラン、コロン」と下駄の音が夜更けの街に気持ちよく響き、もう一人の自分と一緒に歩いている様な時代でした。高い板壁の続く、細い道にはぽつりぽつりと丸い臼明かりの世界が浮ぶ街路灯があったものです。高度経済発展の夜明けのような景色の中で私は青春時代を東京の下町、浜町の叔父の家で居候をしていました。打水のしてある、細い路地裏はみがきあげられた格子戸越しに三味線のおさらいの音も聞えてくるような土地柄でした。夜ともなると暗い路地にぽつりぽつりと青い灯、赤い灯が誘蛾灯のように、おいで、おいでをしていました。田舎からぽっと出の私にとっては都会の好奇心を満足させるには充分でした。★そんな時代にブラウン管を通してその人に出会ったのです。顔はあくまで四角く目の細いお兄さんは一目見たときから私の心に坐ってしまいました。日本放送協会提供の、顔の長い人の構成で「夢であいましょう」という、バラエティ番組がありました。その番組のフィナーレ。美しい中等弘子さんが首をかしげながら「また来週お会いしましょう」と語りかけて、終りになる十数秒の間に、四角いお兄さんは、何もいわず右から左へ通りすぎたり、にこっと笑ったりしました。美しい人が笑いを堪えきれず身を悶えるのです。毎週毎週それが楽しみでした。居候はこの時間にテレビの前で大きな顔をして坐っていました。★それから数年後、「先生、居るかい」とふらっと庭先から入ってくる番組、「フーテンの寅」が始まりました。お人好しで人なつっこくて、気むずかしくて、やさしくて、無知でいるようで、人の心を捕まえて離さない温かい心を持っている。そんな寅さんはその時代には、そこいらに転んでいそうな若者でした。毎週寅さんと会える私の楽しみも、ある日突然沖縄へしのぎにいった寅さんがハブにかまれておっちんでお仕舞いになりました。あの頃は人気の出ない番組は主人公を殺してお仕舞いになることが多かったのです。★その後もテレビ、スクリーンの中で私は四角いお兄さん、渥美清さんの演ずる人達を通して人間味豊かな笑いを楽しませてもらいました。渥美清さんがなくなり、その人が田所さんであった事を知りました。私は渥美清の笑いに参っていました。これからもあの人の様な芸人が再び現れるかが不安です。あの細い目の中で冷静に光る瞳が忘れ難く、いつまでも私の中で生きている事でしょう。

10月
 『この間の〜、ほりゃ、いつも村へきょおる行商のおっさんがおろうが、そのおっさんがの〜、山道で狐に騙されよったらしいでえ〜。このみゃあの〜、満月の夜にのお〜。いつも通りょうる山道での〜、おっさん気がついたら道にまよおっての〜、朝まで山の中をぐるぐるあるいとったらしいで〜。』『ほうじゃの〜。狐に騙されたんじゃろうの〜。』子どもの頃、大人の股の間から首を出して、ほんとかの〜と半分信じたような、やっぱり嘘じゃないんじゃ〜と、納得したような顔で頷いたものです。★満月の光が野山を甍の家並を銀色に浮かび上がらせる秋の夜、太陽に彩られた見慣れた景色と異なる世界に私たちを誘惑してゆく。昼間のように明るいモノトーンの世界で走っていると足下が宙に浮いているようで妙な感じだったことを思い出す。そん時突然目の前に不審な影に、心臓がどき、どきんさせてそおっと見ると木の枝なんて事もあった。月明かりで物を見るときは、目線を対象物より少し外して見るとよく見える、何でかな。長い間そんなことも忘れていたが、司馬遼太郎の『燃えよ剣』を読んでいると、夜間の斬り合いの時、剣客土方歳三は相手より少し目線をずらして間合いを計ったと書いてあり、ああ、これこれと嬉しくなったものだ。★満月の夜の神秘性は世界各地にいろんな諺、言い伝えがある。満月の夜には何か思いがけないことが起こると言うイタリア多分シチリアの言い伝えをテーマにしたアメリカ映画があったっけ。ニュヨークは、ブルックリン貧しいが、陽気なイタリア移民の町、バツイチ、化粧気のない  女と年下パン焼き職人が、ひょうんなことでデイトをする羽目になる。それもメトロオペラホールの噴水の間で待ち合わせる二人。汚れたランニングシャツのお兄ちゃんは、黒のタキシードをバシと決め、そこに現れたのは、ニューモードの黒のドレスにお化粧をしたレディー。流石イタリアン、決まってます。オペラもはねて、人影も途絶えたビルの上には大きな大きな満月の光が二人に降り注ぐ。そして、二人の運命……。★それにしても私たちに夢を与えてくれた狐達はどこに往ったのでしょう。葉っぱをお札にしたり、美人になって男を騙したキツネ君達も住めない国になったのでしょうか。しかし心配はいりません。今月には眼鏡をかけたのや、頭の薄いのやら、肥満気味のやらいろいろ取りそろえてキツネさんの品評会があります。皆さん今度こそ騙されないよう用心用心。
11月

黄金色に輝く稲穂、黄色に群生する背高泡立ち草。北九州の旅は黄色の思い出です。6年前の職員旅行で長崎を訪れたときも博多からの道すがら「ここは黄色の国だ。ひょっとしたらマルコポーロも勘違いしたのかな。」と馬鹿な思いに耽っていたのを思い出します。 ★人家の途絶えた山間の道をゆくと右に4車線の広い道が現れます。カーブをしながら暫く行くと目を見張るような立派な駐車場が出現します。其れは広い、広い途方もなく広いアスファルトの空間です。そこに数台の車が止まっています。こんな時どこに止めようかな。真ん中の広いとこにしようか、それとも端っこの他の車の近くにしようか迷った事はありませんか。車を降りると遥か彼方に鉄の柵に囲まれた白亜のドイツ風宮殿があります。つい最近まで有田、伊万里で行われていた「炎の世界博」会場の一つへやってきたのです。ゲートまで誰もいない歩道を妻と、てく、てくまた、てくと歩くのは間が抜けてて、思わず笑ってしまいます。手持ち無沙汰なエンジの制服を着た女の子があくびをかみ殺して切符を切ってくれます。白い石を敷き詰めた園内には私たち二人のため?に、バロック音楽を奏でてくれています(スピーカーから割れた音が流れているのです)。宮殿の入り口の遠い事、やっとの思いでたどり着くとまたお金を取られるのです。閑散とした祭りの後の虚脱感とはいえあまりにも寒々とした雰囲気と、無惨に削り取られた山肌を見ると、ほんとにこれでよいのだろうかと考えてしまいます。日本の津々浦々にこの様なお化け屋敷がどれほどあるのでしょう。5、6年前訪れた高知の山奥で偶然出会った植樹祭の後の人っ子一人見あたらない山上の広大な会場跡がだぶってきます。 ★遥か彼方より見慣れない二本の高い塔が家並越しに見えてきます。其れがこれから訪れようとしているハウステンボスのシンボルタワーです。国道より橋を渡ると景色は一変し、期待感に胸がときめくような、雰囲気が溢れています。国内を旅行してこんな気持ちになるのは何時の日からでしょう。久しぶりに素敵な女性に会ったような感じでした。車を降りてシャトルバスに乗り換えるときから現実世界から次元の異なる世界に赴くような感覚を覚えます。やってきたバスは真っ赤なレトロ調、ゲートを入ると一瞬外国と思わす町並み、背広にネクタイで酔っぱらったおじさんが居なければ夢は醒めないと思えるような演出はにくいばかりです。着いたホテルはいわゆるヨーロッパ調で、制服をまとった若者がきびきび、溌剌、笑みを絶やさず対応してくれるのが何とも嬉しいものです。部屋の窓から見える運河越しにあるしゃれたテラス、岸壁に停泊している帆船のマストに早く散策に行きたくなります。 ★地図を片手に色づいた街路樹の植わった煉瓦の歩道をキョロ、キョロと歩いて回ります。小一時歩いたり、建物の中に入ったり出たりします。秋の夕暮れは早く街灯も灯り、店も閉まってきます。運河の辺のベンチに座り通り行く人を見たり、遊覧船を見たりぼけーと時を過ごしていると、なにか割り切れない奇妙な気分が気になります。なんなんだろう。妻に『おい、何か変だろう』。沈黙。異国風の建物、町並み、日本の空気、日本語、生活臭がない、綺麗すぎる…。これはエッシャーの世界なのです。ありそうで、けしてない世界、楽しく騙されて、わずらわしい現実生活から一時でも逃避できる幻想の世界なのだ、と「ぶつ、ぶつ」言いながら夕食に向かいました。

12月
今私は『機能水シンポジュウム』に出席のため博多に来ています。強酸性水、弱酸性水、スーパーソフト水、アクア酸化水、アルカリ水等の名称で市場に出回っている水のことを皆様もどこかで御覧になったことがあると思います。それらを総称して『機能水』と呼称しているのです。実際私たちの、医療の現場でも環境の消毒、滅菌に、皮膚の損傷部位の消毒、アトピー性皮膚炎にと色々試行錯誤しながら使用して好結果も報告されています。水道水に食塩を混入、電気分解して得られた酸性の水が、既存の消毒薬を凌駕する画期的な作用を有するかは大いに興味をそそられることです。いろんな分野の研究者が討論しあうこの会は大変有意義な集まりでした。もし、化学薬品にとって変わる滅菌、消毒作用が有するのであれば、地球環境に優しく、安価で、容易に大量につくれる機能水は人類にとって素晴らしい贈り物になることでしょう。★原稿の締め切りをすぎ、担当者の池上さんの恐い顔を浮かべながらこの原稿を書いています。宿泊している高層ホテルの窓から頭を抱えて真下を走る高速道路をぼけっと見ています。朝のラシュアワーになったのか見る見るうちに車の列が長くそして動きが遅くなっています。車の流れの中に一台遅い車が生じると、それを頭に団子状になり渋滞が始まります。その固まりが長くなったり、短くなったりしながら動きが止まったり、ゆっくり動き始めたりします。外界から遮断されたホテルのガラス窓からその様子を見ているとそれぞれの車が意志を持った人間が運転をしているとは思えません。砂丘の砂が風によって『風紋』が造られるように、車の渋滞現象も単なる自然現象のように見えてきます。★今年も例年のように一年が暮れて行こうとしています。この数年、重大ニュースは将来ともこの国にお世話になっても大丈夫なのかと国民を不安にさせるような話題に事欠きません。ゼネコン汚職、住金問題、米飢饉、不動産問題、信金汚職に大蔵省、エイズに厚生省と医療指導者、シルバー時代にゴールドプラン、福祉、福祉で福祉補助金でまたまた厚生省、行革、行革のかけ声で出来るのは審議会、委員会が山となり、出てくる有識者は介護保険の対象者に近いじいさんばかり。戦後50年、社会制度の構造疲労を起こしたこの社会を建て直すなら、日本の歴史をもう一度見直せばよい。★二百年の長き徳川時代を変えた明治維新を、近代日本国を確立しようとして迷い込み、沢山の人々の命を奪ったあの戦争、そして、敗戦。私たちは多くの教訓を得たのではなかったのか。日本の歴史の回転を変えたのは若さ、そして。夢を見ましょう、初夢を。次回をお楽しみに。