1994年『院長のひとりごと』より
2月

冬は寒いほうがよい。かじかんだ指に、白い息を吹掛けて、思いきり伸ばすのがよい。墨絵の様に煙った朝靄の中に、枝を広げた梢が、少しずつフォーカスインされる冬の朝がよい。カチカチと黒い土を蹴散らして歩く冬の朝は、豊な春を迎える喜びが伝わってくる。萌出る春が待ちどうしければ、冬は寒いに越した事はない。★時折、パリパリと冬枯れの雑木林の中より響いてくる音にピクッと、立止まり耳を傾ける。風の気配も感じられない、透き通った空気の支配する朝。大地の息吹が静寂の中、足元から胸に伝わって来た時自分の鼓動に喜びを感じる。冬は、明日の生命の爆発を息を潜めて待っている季節。★木立を漏れてくる一条の光が濃緑色の苔の絨毯を、舞台の様に浮び上がらせる。赤い椿の花弁が、音もなくその上に舞落ちる。冷え冷えとした空気を揺らしているのは椿。時は止り、色は動く。一つ二つ。冬の朝は静かだ。

3月
おへそが体の真ん中に見当らないと、何か落ち着きません。やっと吉備路の小高い丘の上に五重の塔が再び姿を現わし、止った時代が動きだした様と、安心感がもどってきました。久しぶりの大雪の中、五層の美しい建物は風土に溶け込みなじんでいる様子が歴史を感じさせます。★山手、水別れの峠を倉敷方面から越える時、丁度、北の方向に見る五重の塔が、私の一番好きな絵柄です。太陽の方向によっては、中国の絵の中に見る泥土で出来た五重の塔に見間違える瞬間があります。★昔それにならって、古代の人々がこの日本の地に、その豊な樹木を使って建造した事がしのばれます。近くで見ると梁の天空にのびるやわらかな曲線、確かな幾何学的な規則性のあるいらかの重りは、周囲の松の樹々に誠に似合っています。塔を囲んで点在する時を連ねた古墳群を重ね合わせてこの地の歴史を振り返った時これからの私達の生き方を考えさせてくれる何かがある様です。
4月

ピカピカと光る丸いガラスを耳に当てると、カッチ、カッチと規則正しく刻む金属性の震動音に心を奪われた四月。中学の入学祝いに父よりプレゼントされたとシチズンの時計、私が始めて手にした自分の時間。授業の終わる時間を確かめるだけに、左手首を回してのぞき見る動作に何となく大人に地か図いているような自分に、照れ臭さを感じたあの頃が懐かしい。★リュウズを忘れずに巻かないと止り、時が早くなったり、遅くなったりしたあの頃の腕時計。時代が進み、自動巻きとなり、そして電子時計となり時計は勝手に正確な時を刻み続ける。街なかでも、家のなかでもそこいら中、時を知らせる数字だらけになったころから私は腕時計を填めることがおっくになってきた。★それから約二十年、私は最近時計を付けるのがたのしみになった。昔ながらの簡単な手巻きの時計を手に入れてからだ。ジージーとぜんまいを巻いてやらないとさぼってしまう時計に、人が心を込めて作った機械の言葉があるようで心がやすらぐ。時が狂っていれば直してやればよい。時々その音を聞いてやれば、私の心の震えに和してチクタック、チクタックと歌っている。

5月

色とりどりの、端々しい緑に、枯れ木の様だっだ枝々がおおわれるのに、一週間という時もかからない自然の力強い生命力に圧倒される季節になった。その中に、白骨化した様な幹の途中から折れてしまった松の樹々が、痛々しくよけいに目についてしまう。 立ち枯れた松が人の手により切られ、整備された為、吉備の里では思わぬ光景がみられる。長い間、繁茂した松の緑で形も姿もおぼろげであった古墳がはっきりと段丘をもった前方後円噴という本にえがかれた形を認める事が出来る様になったことだ。★新しく道路が整備、つくられ、山が林が開発されると、思わぬところから、古代の遺跡が日の目をみることとなる。その時代の人々の生活の拡がりと人口の密度の高さに今さらながら驚かされる毎日である。 近代生物学の進歩は、地中深く残された花粉の分布と量を分析する事により各々の時代における植生変化を正確に伝えてくれる様になった。 遥か古より、日々、人の心の古里景観をつくっていた松も、古墳時代、四〜五世紀に西日本において急激に植生分布地域が拡がった事がわかってきた。 それは同じ時代に、この地域に新しい文化、“鉄の文化”が移入され、製鉄、鉄の加工が急速に始まった事と重複する。鉄の生産は膨大な量の樹木を消費する事になり、その時代、照葉樹林で覆われていた山々が、急速に人の手で切り倒され、利用され、それまで小島や砂浜で細々と景色に溶け込んでいた松が、急速に、荒地に植生を拡げた様に思える。★今日の松枯れ現象と古代日本の風景を重ね合わせて観ると現代日本人の原形を垣間見る事が出来る様に思えるのだが…。

7月

『夏休み』という言葉をつぶやくと“若さ”“過ぎ去った時”という断片的な単語が脈絡無く次から次へと湧いてくると、私の目はあらぬ空を見つめてしまう。確かに、たしかにあったあの時が幻想的な一枚一枚の名画の様に眼前に広がってゆく。★私の『夏休み』風景は海と山のショットだった。というと、一般的には魅力的生活環境に聞えると思うが、それは単に我が家が、たまたま瀬戸内海に面した海の前に位置していたに過ぎず、学生時代何と無く、山岳部に入りひどい目にあった結果に過ぎず、私の意志に関係無くあったことなのでした。十数年間の海辺での風景は退屈するほど何も変らず、一言の挨拶も無く夏がやってきて、過ぎてゆきました。その頃は年々変る、私の視野の高さの変化さえ気がついていませんでした。★べとつく潮風や時につれ変る潮の香、真っ青な空にむくむく昇る入道雲、舟縁を打つ波の音、眩しい白い道、砂埃にうな垂れる路傍の夏草、人の声も聞えなくなる様な熊ゼミの声、キャンディー屋の鐘の音、流れ星、夜の海の夜行虫。全ての景色が鮮やかで動かない一枚の絵。祖父母も家族も友達も、笑顔、笑顔で私をみつめて、止っている。これが私の心の『夏休み』の風景です。その日から数十年、この素晴らしい絵を私の心のどこに収納すればよいのか悩んでいます。

8月
トマト色の熟した球体が、そよとも動かない朝靄のなか、東の山端の上で揺らめいています。少しばかり涼しい夏の朝5時少し過ぎ、郵便配達の足音が近づいてきます。今は静かな太陽もエイリアンの成長するように、少しずつ少しずつ白く輝きを増し、今日も狂暴な怪獣に変身する事でしょう。★日本女性として始めて宇宙で生活をした向井さん。コバルト・ブルーの飴玉を白いレースで包んだような、美しい私達の地球。毎日、茶の間の映像は楽しませてくれました。  数年前、月へ飛立った宇宙飛行士は、その美しい地球を見て”漆黒の闇の中に浮ぶ宝石の様だ。神の存在を信じざるを得ない。“と言っています。★この天体に生物が生誕したのが  数十億年まえと推定されています。そして、  数億年前の、ジュラシック・パークでは無数の怪獣たちが我が世の春を謳歌していました。ある日、突然姿を消してしまった謎。時は過ぎ  数万年前にやっと2人のアダムとイブ、新人類が現われます。そして今、  数億人の現代人は白く天上に輝く太陽を見あげ、何か不安を感じています。★創世紀の地球、水の中より生じた一つの単細胞、それが今日数え切れない数の生き物となり、水を頼りに生きています。私達、人間の血液の中にも、太古の地球の息吹が歴然として残っています。★昨年の冷夏、今年の酷暑、地球的規模の天候異変。これは単なる地球の気紛れなのでしょうか?智恵ある生物人類が、幸せに成れると選んだ科学の歴史は間違ってなかったのでしょうか?一人、一人の力では何の解決にもならないでしょう。しかし、一粒の水滴でも集れば大河になるのも事実です
9月

きんさん、ぎんさん、始めほとんどの日本人が経験もしたことのないような、カラカラ天気の真夏日も終わったようです。時の流れは朝夕の涼しさと、虫の音を運んでくれています。しかし、晴れ上がった青い空からは雨の降る気配は微塵もなく、水不足の度合いは日毎に深刻さの度合いを増しています。★血液透析療法にとって、精選された水の供給は正に命の母のようなものです、。一人一回あたり約300リットル前後の水を必要とします。幸い、8月下旬現在、総社市においては当面透析医療に支障を来たすような水供給不足は無いようです。しかし、水不足に悩む沢山の医療施設、そして夜も寝れないくらい心を痛めておられる医療従事者の皆さんの事を思うと、自分の事の様に心が痛みます。★今日、日本に於ける血液透析療法の進歩はめざましく、維持透析によって、十分社会生活が営める様になりました。しかしながら、将来とも健常腎に比較する時、その機能に差があることも事実です。医科学の進歩は論理的かつ技術的に、その溝を埋めるべく益々努力されるでしょう。今日に至るまでのその目素晴らしい結果は皆様の日頃ご存じの通りです。ですが、どの時代になろうとも二つの溝を埋める最後の手段は自己管理と思われます。★この度の水不足は改めて生活における水の大切さを教えてくれました。21世紀に向けて私達に自然とのかかわり方、社会、経済、政治への問題意識、生活様式の在り方など沢山な課題を投げ掛けてくれています。

10月

先日、飛行機にのりました。ピカピカの新関西空港は素晴らしい近代的な建造物です。外国人設計士の感覚と日本人の生活感とが妙に絡み合い将来興味ある空間になることでしょう。6日間の短いアメリカへの休暇に感じた事を取り留めなく書いてみましょう。★飛行機が地上を離れる時の胸の締め付ける様な怖さは、いつまで立っても慣れないものです。いつの間にか汗のにじんだ手でシートを握り締め、息をこらえている自分に気がつき何となくキョロキョロと何食わぬ顔で見回します。空の上では、外のことは出来るだけ考えないように薬を一服盛って夢の世界に逃げることにしています。再び地上にドンと車輪がつき、停止したときの嬉しさ。現代科学を信じない訳ではないが、やっぱり怖い飛行機です。★私がこの度一番びっくりしたこと。日米間の物の値段に差があり過ぎること。マスコミを通じて各国の物価比較である程度理解していた積もりが、『あっと、驚く為五郎。』 古いギャグですみません。品物によっては差のあるものの、日本で買う米国製品は高すぎる。それに引替、アメリカで売っている日本製品の安さはどうゆうことだ。★スーパーマーケットのでかい奴、ハイパーマーケットと言うそうな。いろんな日常品、食料品を見て回っていると時間の立つのも忘れる程面白い。とりわけ牛肉、鳥肉の安さに失神しそうである。食料品には全て栄養価、コレステロール値、ミネラル量が表示されている。この制度は日本でも早急に取り入れて欲しいものだと、忘れかけていた医者の立場で興味を持つ。★再び、新関西空港に降り立つ。出発の時には感激したこの空港で苛立ちを感じる。言葉の良く通じないアメリカ空港の方が自分の行き先が分かりやすいのである。私達はどうも表現する方法が不得手な国民のようである。これをも含めて、文化、歴史、国民性等の相違の面白さを、時差ボケの頭で思い巡らしながら岡山に帰る。

11月

緋色、黄色、薄茶色、淡い緑に紅色の染み合った葉。暖色系のパレットを指先で戯れた様な梢の透き間より、縞模様となって光る秋の朝。その中を、絹の様な雲の糸がキラリ、キラリと輝き、塵と見間違えるような小さな虫が不規則に、音も無く視界を横切って行く。時折、カサ、カサと落ちる枯葉の中をさざ波の様に通り過ぎて行く湿った木の香が、今年も私の小さな庭にもやってきた。★この夏の猛暑で殆どの衣を落としてしまった花水木の小枝に生残った数葉の見事な紅葉が揺れている。そして、早くも来る春の生命の息吹を育んでいる。生命の輪は分け隔てする事無く廻っている。ケヤ木の黒く大きな幹に手を添えてみる。ざらっとした感触に、ヒンヤリした樹脈が伝わってくる。秋は人の心を感傷的にして、時間のなかを彷徨わせる。★つるっと、透き通るような、丸く、長くどっしりした白い、白い大根が沢山並んでいました。あるものには金紙、銀紙が貼られていました。瞬く間に日は落ちて、急に薄暗くなり寒気の偲び込んできました。黒びかりしている小学校の教室のなかで、大根は堂々と座っていました。私の育った小さな村では秋になると農産物品評会がありました。農家の人達が丹精込めて作り、その日の為に磨き上げた大根。その日は。私にとって待遠しい日でした。★電燈のともる頃、祖母が買った大根を胸の中いっぱいに、両手で抱えて歩いていると、刈込んだ葉から薫ってくる青くささが意味も無くわくわくさせました。手の掌を通して伝わってくるあの冷たさと、心地好いすべすべした感触は今も思い出されます。 しかし、大根を食べて美味しいと思うようになったのはつい最近の様に思われます。

12月
 今年も最後の月を迎える事になった。師走という字は慌ただしさの代名詞の様な響きさえ持っている。昔の人が現代の我々を覗いたら年中大晦日と見間違うに違いない。自分ではゆったりと、落着いた毎日を過ごしたいと思っても中々そうはさせてくれない。見るもの、聞くものあらゆる感覚をむりくり目覚めさせて、迫ってくる社会は毎日がお祭りの御神輿に乗ったみたいな大騒ぎだ。★風の無い小春日和のある日、私は高梁川の玉石の河畔に立つ。高い空は黄ばんだ山々の上に広がり、鏡の様な静かな水面が景色を映している。目を懲らすと、川下に向かって微かに流れを認める。それにしても、川幅が狭い。★朝の洗顔、冷たさが気持ちよい、調子の悪い歯に冬の水道の水は沁みる。そんな季節になった。そういえば、洗面器に水をすくい顔を洗った事を思い出す。遠い日々の事に思える、暑かった今年の夏。水が不自由なく使える事を感謝したあの頃、今はころっと忘れている。『喉元過ぎれば、暑さを忘れる。』もっともだと、思いながらも自分に苛立ちを覚える。年の所為ばかりでもないぞと、流しっぱなしの水道の栓を締める。夏の名残のミネラル・ウヲーターが薄暗い廊下の隅でホコリを被っている。最近、このボトルが“猫よけ”の呪いとして、火事を起こしているそうな。本当に世の中はおもしろい。★人生 枝道、寄道もない一本道。ぶらり、ぶらりと時のうつろいを楽しむ来年にしたいと思います。