1993年『院長のひとりごと』より
2月
人生には他人事ながら気になる何か落着かない気持。そして、喉にかかった魚の骨が取れた時のなんとすっきりした事のように・・・。皇太子殿下の御婚約は私にとって、そんな感じの出来事でした。★新しい秩序を求めて世界が混乱している現在、世界の情報は否応なしに私達日本人の在り方を、問いかけてきています。御成婚の儀式が、単にマスコミのお祭り騒ぎで終わらず、日本人一人一人が、立止まって我々の過去を、未来を考える機会になればと思います。★明治維新の混乱期、何処に行けばよいか分らない大衆は『えーじゃないか、えーじゃないか』と何処ともなく、誰ともなく熱病の様に浮かれ、はしゃいだとの事です。★若いお相撲さんの女性問題、昔の大スター野球選手の監督就任などなどが、トップニュースになる平和国家日本、バンザイ、バンザイ・・・。これでいいのかな?
3月

春の足音は、ドック、ドックと心臓の鼓動のようにツービートでやってきます。静から動へ生あるものの祭典が始まります。寒さの厳しい風土の地域では、春の訪れは鮮やかな色彩が乱舞することでしょう。私達の住んでいる国では色とりどりの緑が淡くそして霞み、穏やかな景色を醸し出します。★古代より、春の嵐と、黄色の霞みは日本の風物詩になっています。西からの風や海流は何千年に亘り、絶えず新しい文明を日本の国へ恵んでくれた歴史があります。子供の頃、黄砂の季節になると、朧気に西の空のかなたに未知の国の存在を感じたものです。時代は移り、黄砂に酸性雨のおくりものは嬉しくありません。しかし、古代の賢人達の知恵に預かった私達は、今こそ西国の人々に恩返しを考えなくてはいけない時です。

4月
春霞の中を新緑の見当たらない梢の上に,白鷺の群れが羽を休めているような可憐な白木蓮の花もほんの数日もすると無残な姿を晒す頃になると;今年もやって参りました,桜の季節です。大野の桜が,日毎暖かさを増す日差しの中で紅色の蕾を膨らませて待ってくれていると思うと心がわくわくしてきます。この6年間我ながら飽きもせず良く通ったものです。ことの初めは、あるタクシーの運転手さんに教えられたのです。家並も途絶え山裾の新緑に煙る雑木に包まれた曲がりくねった山道を、本当にこんな所に桜があるのだろうかと半信半疑で歩いて行きました。同行した腹の出かかった中年のおじさんも、しょうがないなあとゆう退屈そうな、おもい足取りで付いてきます。私も焦りぎみに山裾を回った瞬間、一瞬足が止り、二人で思わず見合ったのです。『オオ、おお』大の男が、なんともしまらないおたけびを上げて走り 出しました。一本の満開の桜は風にゆったりと重い枝を任せています。二人は放心したように木の下を回っていました。一本とゆうことはないわなあ。上の方向に歩き初め、また山裾を回ると、なんと、なんと。ずーと、ずーと桜、桜の並木道。鴬と風の音しか、だあれも居ない別天地。前を見たり、後ろを振り返っり『すごい、すごい』と忙しいこと。大分行き、これで終わりかな、とまた角を曲がると驚いたことに、つづら折に山の上まで続いて居るのです。西の山端に落ちて行く脚の長い春の陽が、崖からせりだしている桜の枝を透して揺れて居ます。暮れ馴染む山影に紅墨色の帯が浮き上がってきます。したの方から小学生がとぼとぼと、桜の下を上がってきます。この奥に部落があるのでしょう。谷間の寒さが感じられるようになり二人はそこを離れました。★毎春、あの時の感激をと思いながら通っています。しかし、桜の枝にはあの時のようには花が満ち溢れないのです。枯れた枝が目立つのです。ビニールや、空き缶が目立つのです。今年も行きます。
5月

誰が名付けたのか『ゴールデン。ウィーク』、大型 連休、豊かな生活と、マスコミは囃し立てています。皆さん、患者さんにも、私達にとっても、それは遠いい国の縁のない話のようです。毎日の生活は、たんたんと過ぎて行きます。透析室の窓にも、けやきの新緑が清清しい枝をのぞかせています。★『のぞみ』という、早い早い新幹線が故障勝ちに走っています。東京へ数十分早く行けるという、文明の利器でございます。少しでも早く、少しでも便利な豊かな未来、目を三角にして肩をいからして疾走した夢か幻かはた又春のカゲロウか、戸惑うばかりです★季節が移り、以前散歩をした小道の道端に見覚えの有る木々や花を見つけたとき、人は心の安らぎを感じます。めだかや、おたまじゃくしが、ミズ草から顔をだしていた畔の流れもいつのまにか近代的かつ清潔なU字構に変わり、良くなりました。

6月

雨上がりの新緑が眩しい木立の中で、姿勢を低くし、息を殺して、佇んでみませんか。水を含んで黒っぽい豊かな土の中より、名も無い草が小さな色とりどりの花をつけ、その中より虫がひょこひょこと顔を出します。 風もないのに、冷たい空気が何処からともなく漂い、頬をなぜて行きます。各々の樹々の若芽はエキスを放ち、時々何処かに咲き残っているのか、藤の甘い香りが遠い昔の駄菓子屋の店先にいる様な幻想に誘ってくれます。★人間の五感の中で、臭覚は普段余り意識してない感覚です。しかし、夕暮の山道とか、見知らぬ土地のとある場所でふっと感じる匂や香りは、時間を越えて意識の中に沈殿していた事象を、目の前に臨む蜃気楼の様に一瞬現われる事があります。★最近、立体感を体験出来る本を本屋さんで見掛けます。意味不明な色の集合したページに目を寄せ、あらぬ目付で画面を見つめると、奥行をもった情景が手に取る様に浮び、自分がその中に入ってしまった様な錯覚に陥ります。★現代文明は居間に座っていながら、一生経験出来ないような体験をさせてくれます。例えば、南極の氷山の上や、富士山の頂上を知る事が出来なくても、私達の周りには自分の眼で、耳で、鼻で、舌で、肌で感じる事が出来る、無限に素晴らしい世界と時間のある事に、感謝したいと思います。

7月

すっかり緑の深くなった庭の木立の中に、純白のレースにふちどられた黄色の花芯をもつ夏椿が、いくつも幾つも咲いています。そして次から次へと音もなく落ちては湿った土の上に茶色の無残な姿を晒しています。平家物語の冒頭の一説を思いだします。『祇園精舎の鐘の声、諸行無情の響きあり沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理りを現す』。夏椿は沙羅の木ともいわれていますが、正確には沙羅双樹とは別の物のようです。しかし、花のもつ可憐さと散ってゆく儚さの間いだの、余りにもの時の流れの短さに、日本人は人生の無情を感じるようです。昨今の世事の移り変わり、虚しさを感じるとき、ふと思いだす様な花木です。★今年も、田んぼには水が一面に張られ早苗が風の流れに一斉に首を振ります。この変わらない初夏の風物誌に、私は心の安らぎを感じます。全国津つ浦うらで、二千年いや3千年もの前から同じ光景が繰り返されていたことでしょう。それは、北海道から九州まで畔に区分けされた見事な田んぼの遺跡が発掘されていることで知ることが出来ます。私達の祖先が一粒でも多くのお米が安定して収穫できるよう全知全能を傾けていた様を思い浮かべることが出来ます。その中から、日本独特の文化が醸しだされ、私達に引き継がれているように思います。★時代は移り、その田んぼも、埋立られ、雑草に覆われる風景も珍しいことではなくなりました。心のふるさと、田んぼのある風景をもう一度考えてみたいと思います。★日本の政が変わろうとするとき、我々の山に、空に、海に、田んぼを見つめると、私達の選択の答えが出るかも知れません。

8月

人各々に、季節に対する思い入れ、言葉があるはずです。私達にとって”夏”は原色の乱舞、時の音

が急激に明るさから暗さの中へ沈んで行くイメージが湧いてきます。★今までの私の人生に、沢山の絵画との出会いがありました。何十年もの昔から、つい最近のもの、有名な絵から名もない人の絵まで、色んな絵の前に立ち、絵を観ました。有名な絵の前に立つ度に戸惑いもついてまわります。自分の感受性の欠如に自己嫌悪をも感じます。名画を観て涙する様な感情の高まりを発露される人々に妬みを感じます。”猫に小判”とはよく言ったものだとしみじみ思うのです。★ローマの国体容を、特に日本人を相手とするレストランで食事を取った時の事です。木の階段をゴトゴトと2階に上がりました。さほど広くないレストランには日本人の国体容、チェックのテーブルクロスの掛かったテーブルに向かい食事をしていました。明るい部屋の壁一面に子供が描いた絵が私に迫って来ました。地中海の青、緑、赤等の色が自由奔放な線となり面となり、子供の世界を形作っています。この旅行で有名な美術館で多くの素晴らしい絵画に出会いました。しかし、それ以上に子供達の絵は私の心に残る風景でした。★2年程前、あるドクターのお部屋を訪問した時の事です。狭い部屋の本にうずもれた殺風景な中に場違いな数枚の絵が私の心を捕えました。既成概念にとらわれない色の組み合わせ、線の動き・・・のびのびと絵が舞っているのです。小学生になる先生の息子さんの作品とのことです。その先生から想像できない作品に驚きました。その数枚は今でも私の手もとに大切にとってあります。★春にはあんなに沢山の緑の色どりで包まれた山々も夏を迎え、深い緑一色になり、木々の種類も見分けもつきにくくなる様に茂っています。早く草木の緑の太陽の元に光り輝く夏の日の一日でも早くやって来る事を切望する日々です。

9月

かえるゲロゲロと合唱、梅雨の様。蝉はジージー飛び回り、おまけに秋の虫は鳴きわたる。この晩夏は一体どうなっているの?地震に大雨、季節外れの台風、台風。世紀末と嘆こうとも毎日毎日は確実に過ぎてゆく。★夏も終わりに近づくと、私も父親として一年に一度数時間の娘孝行の儀式が約十年間続いています。私の娘も大学3年生になります。ずーっと、神戸という近い所に住んでいます入学以来、我が家には十指に余る日数しか足を踏み入れていません。手が懸らぬというか、親離れが良いというか誠可愛げのないこと夥しい娘です★中学入学以来、吹奏楽一筋に入れ込み今日に至っています。謂わば、病気みたいなものです。以来、私達夫婦も夏になると中学、高校、大学と吹奏楽コンクールに付き合い、今ではひとかどの審査員と自任しています。大学に入り、朝は早く、夜は遅く、休みは終日と何が嬉しいのか練習に明け暮れ、電話をすれど、主は捕まらず、親としては一方的にふられ続けています。最後の手段として、経済封鎖を匂わせても馬耳東風応える風も無く、音信不通。コンクールの前だけ猫なで声のお誘い電話。ぬーっと帰ったと思えば、一日中食っては寝ているだけ、知性のかけらも感じさせる事無くいつの間にか居なくなります。★暗い舞台が一転して明るくなると、私は胸をドキドキさせて娘の姿をさがします。指揮者のタクトを一心にみつめ、クラリネットを吹いている娘の横顔をみると、一年の行事が終わったような安堵を感じます★演奏が終わり、ホールの外の木陰で楽友と緊張の後の満足感に溢れた一時を過ごしている娘を遠くに会間見ながら、妻と二人「夏もおわったなーと駅に向かいます。この行事もあと一回で終わります。

10月

足の長い朝の日が、少し黄金色に変りつつあるエノコログサの穂の間に輝いています。小さな兎の尻尾の様な、穂の先についた小さな朝露の玉が水晶の様に輝いています。そよとも風のない初秋の朝、叢より時々聴える虫の音がしみ渡ります。★つい七日ばかり前には赤いフリフリのついた踊り子のしなやかな脚の様に、華やかな曼珠沙華の咲き誇った細いあぜ道も祭りの終った境内の様な淋しさを漂わせています。★首を垂れた稲穂も冷夏の為か、例年の様にぷりぷりとした実は少なく、指先に柔らかい感触が不安に残ります★古墳の山裾にある、杉木立に囲まれた古びた社は、誰が燃やしているのか、たき火の紫煙にゆったりとつつまれています★犬を連れた年老いた、しかし足腰のしっかりした人が今日も境内の中ある幾つもの小さい社に一つづつ何かを献上しながらかしわ手を打っています。★私達の生活の中に、カタカナで書かなくても自然を大切に、敬い、育んでいる環境を守ろうとする昔からの伝統、習慣が沢山あります。★新しい社会構造に脱皮しようと苦しんでいる今日、長い年月に亘り先祖が作り上げた日本人のやり方で、考え方で生活をもう一度見直すならば、日本人として豊なゆとりのある社会は確かになると思うのです。

11月
朝靄の中を熟し柿の色に、東の空が窓の中で明るくなる。今日も晴れるなあと、朝焼けの風景にみとれる回数が、最近増えてきた様だ。★きらきらと光りながら沈みきった木立をぬけてくる朝日は、庭の欅や、花水木、夏椿等の葉を色とりどりのステンドグラスの色模様に変えてしまう。秋の朝は、四季の教会だ。時折囀る鳥の声も日に日に透明感を増してくる。★教会といえば、ある出来事を思い出し、脇の下に汗をかく。約十年前、パリへ旅行をした。以前よりノートルダム寺院のパイプオルガンと華麗なステンドグラスに憧れていた。丁度、日曜日、ミサの日だった。チャンスとばかり出発までの時間、妻と二人、朝早くセーヌ河畔に急いだ。空は真っ青。肌寒く薄暗い教会の中では、人もまばらで、オルガンの音は高い天井に木霊し、ステンドグラスを通してきらめく色の渦がこの世の物とも思えず美しい。祭壇の近くの木の長椅子に座って感激に浸っていた。どれくらい経ったのか、ふとまわりを見まわすと前後左右に色とりどりの肌の色をした人々で埋めつくされ回廊とは木の柵で仕切られ、観光客は外で見物をしている。その内ミサが始まり、わけもわからず立ったり座ったり。時間が刻々と正午に向かって日本への出発が近づいている。出口は遥か後に一つあるのみ、万事休す。アーメン。テレビでノートルダム寺院が映される度、その日の思い出で顔が赤くなる。
12月
今年も  ヵ月が過ぎて行きました。私の人生の中でも思い出に残る年となる事でしょう。★一つは、透析医療を  年間続け、人に言えない苦しみがあるとはいえ、日常生活を私達と同じ様に送っておられる二人の方と一緒に、その日の喜びを分かち合えた事です。★もう一つは私達をとりまく環境、日本が大きな歴史的な転換期の真っ只中にいるのではないかと思える事です。私達は象の背中にへばりついている虫の様なもので、自分の現在の場所が分からないで右往左往しています。★物心ついた時からプロ野球、巨人軍と目の色を変え、朝一番に新聞のスポーツ欄をむさぼり読みました。夜は夜で、テレビの画像に一喜一憂したものです。★今から  数年前でしょうか。雲一つない快晴の日、今はない後楽園球場の内野席の当日券席で観戦する機会がありました。投手は江川でした。久しぶりの後楽園は狭く、古く、すす汚れ、「こんなのだったかなあ」と、少々がっかりしていました。★時々、耳慣れないゴーッとも、ウォッーとも、声にならない地鳴りの様な音が外野席の方向より響いて着ます。最初は、外野席の外を走る地下鉄の音かと思っていました。その音鳴は試合の緊張感、進行に関係無く起こります。何かの事に、はっと気がついたのです。それは外野を埋める観客の発する声だったのです。プロ野球とは静と動の変化、緊張感の持続と弛緩の間合いの、胸のときめき、期待感と失望感の、結果の観戦、ため息、無言の内のスタンドの連体感と相手チームへの敵対心。そんな思い入れが、それを契機に私の心の中で変化した様です。★今年はついに巨人軍の試合をテレビで見る事はありませんでした。私達、戦後すぐに育った世代の「心の戦後」はやっと終ろうとしているのかも知れません。新しい日本、「誇りをもてる国」になれるかは、国民一人一人の問題であり、その鏡が今の国会と思えます。