1992年『院長のひとりごと』より
2月

霜に覆われた田や畑に朝日がキラキラと輝く冬の朝、峠を総社に下る時、朝靄の中の小高い丘の、薄墨色の五重ノ塔に出会うと、今日は良い日になるぞと思います。じゃあなくて思ったものです。毎日、見慣れた光景が視界より消えてしまった時、その存在の大きさに驚く事があります。★明るい冬の日差しの中、山陰に消えてゆくように苔蒸して座っている小さな地蔵様。誰かに作ってもらった赤い前掛け。昔々、名も無い石屋さんが刻んだ作品が自然に融け込み私達に日本を語ってくれています。★私達の先祖は昔から瀬戸の島々と松の美しさを歌や絵にして残してくれました。松という見慣れ過ぎた木は、私達に松ボックリ、松葉相撲、夏の日の松を渡る風の音、松茸等思い出を残してくれています。その松達は今、赤茶けた惨めな姿を晒しています。私達は何か恩返しが出来ないのでしょうか?

3月

★真白い峯々よりのスロープ、抜ける様な青い空白銀の世界≠ニいう言葉がピッタリの冬季オリンピックも日本選手大活躍の裡に終わりました。テレビの画面からは、信じられないようなカラフルなユニフォームの氾濫で目を楽しませてくれました。コンピュータ・グラフィックと、先端繊維科学の展示会の様でもあります。スポーツ用具の進歩が、成績結果に関わり過ぎてみえるのも私にとっては少々目障りに感じられます。★何十年も、東と西、自由主義国家と共産主義国家という図式に慣れ親しんだ私には、虎の絵に竹を画き忘れたような落着きのなさを感じました。ソ連と言う歴史に残る超大国が、泡沫の夢の様にこの世から物の見事に消えてしまった事実を改めて知りました。
オリンピックが再び悪夢の様な民族の祭典≠ノならないよう祈ります。

4月
★私はね、何も好き好んで、こんな狭苦しい汚い海に来たんじゃありませんよ。潮の流れで気が付いたら瀬戸内海という訳でサ。私達の仲間は、人様よりもっともっと昔からこの地球に住み着いていますが、最近はめっきり住みづらくなっちまいました。人間様は目障りだ、恐いだというだけで、沢山の仲間が訳も無く殺されてしまっています。私達もたまには人様にご迷惑をかける事も有りますが、あなた様方の、他の生き物に対するやり方は、少々ひどすぎると思われませんか?皆んな言っているんですぜ。昔は良かった。二本足で歩く生き物が地球の上でのさばるまでは、お互いもちつもたれつ生活できていたもんだ。生き物同志、仲良く食べあって生きていきましょうや。皆さん少々、あくせくしすぎじゃありませんか。もう少しお待ち下さい。広い太平洋に出て行きます。      ・・鮫より・・・
5月

どんぐり眼に、大きな体を紋付羽織袴に包んで、汗をぬぐっている君を見ると、背中をどやしてやりたくなります。小錦君、胸をはって思っている胸の中を話したまえ。西欧と日本の文化と価値観の違いを考える事は、現在、将来の日本に避けて通れない問題なのです。貴方は、日本の歴史に大きな足跡を残すかもしれません。君が、相撲界に入った事自体に矛盾を孕んでいたのです。出来る事なら、もっと弱ければ良かったのです。★私達日本人は、日本の自然、歴史文化を心から誇りに思いたいものです。単に、言葉が、特に英語が話せない事で卑屈に成る事はないのです。私達には、日本語と言う立派な言葉があるのです。★母国語で自分の意志を、考え方を正しく伝える事が、単に外国語を話せる事よりもっと大切な事ではないかと、考える今日この頃です。

6月

『ラスト ラブ』『やさしくなりたい』『いつか』『あの娘にタッチ』『追憶のヒロイン』『愛しい人よ』 皆さん何の題名か解りますか?一つでも、二つでも耳に残っていれば若者です。これらは、最近の流行り歌の題なのです。残念ながら私には全く馴染みのない別世界の出来事の様です。それにしても、流行り歌はどこに行ったのでしょう。私だけ浮世から取り残されたのでしょうか。手拍子を打って、老若男女打解けて、大声を上げて歌った流行り歌。★スポットライトに照らされて、歌手の様な気分、自分だけの世界、自己淘酔、これこそ現代日本の高度電器技術が世界に誇る『カラオケ』文化遺産ではないでしょうか。★皆がマイクを握れば握るほど、流行歌は私達から遠くに逃げて行くようです。もう一度、人生の年輪になるような、何気なく皆の唇に浮ぶ歌が欲しいものです。

7月

★先日久しぶりに東京へ行きました。休日の早朝、都心は静かすぎます。雨上がりの、靖国神社よりお掘りに沿っての小道は緑に溢れ、冷たい空気が、昨夜の余韻の残った頭には爽やかに感じられます。★二十余年の月日は、皇居を取巻く景色をすっかり変えてしまいました。公開されている皇居の中の公園は朝も早い為か、人影もまばらで車も少なく、いつもの騒音がが嘘の様に静かです。足許の水たまりが跳ねています。見ると雀が三羽水浴びをしています。近づいても逃げようともせずに・・・。都会の雀の神経が図太くなったのか、都会人が動物に優しくなったのか、無関心になったのか。岡山では見慣れない風景に、しばし見とれていました。

8月

ジリジリと焼け付く様な太陽の刺激は、私にとって生きていると実感させられる大切な季節です。夏は暑く、そして暑くて夏なのです。大地に足を踏ん張った草や木は、太陽に挑むかの様に空に向かって緑の手を伸ばします。降り注ぐ太陽の恵を体一杯に受けてぐいぐいと成長する姿は生命力に溢れ圧倒されます。★日の落ちた頃、焼けた木々や草に水をやると、声を出さないまでも嬉しそうな気持ちが伝わってくる様です。そして確実に逞しい姿に成長するのです。これが生き物にとっての夏なのだと納得するのです。★子供の頃から水を播くのが好きでした。井戸水をつるべで汲んで、ジョロでやった事もありました。バケツの水は重くズボンをビショビショにしたこともありました。★今日も又、「元気がないなぁ」と独り言を言いながら水をやっている自分が面白くもあり、老後が心配です。

9月

甲子園の歓声が静まると日本の夏も通り過ぎて行く。高校野球は今ではすっかり夏の風物誌になった感がある。★真っ黒に日焼けした肌、そして白い歯、吹き出す若いエネルギーがブラウン管からほとばしり出てくる。昔若かった者には自分たちの青春をだぶらせて、ほろ苦い興奮に浸たらせてくれる。★私にとって、どのチームが優勝しても構わない。選ばれた者の並外れた運動能力を競い、見せてくれればそれでよい。私は、毎年待っている。ぞくぞくするような、興奮をまき散らす未完成なヒーローを。坂崎、王、尾崎、江川等。一挙手一投足に胸を絞めつけられる様な興奮を与えてくれる選手の出る事を。★未完成な十代の若者に、信じがたい連投をを強いる甲子園。投げて、打って、走る闘争を拒否する高校野球。何か狂っていませんか?★そして、今年も夏が終った。

10月
暮れ残る庭先で七厘の炭を起こします。澁団扇でバタバタと火口に風を入れると軒先に線香花火の様な火が飛び散り、炭火は少しずつ赤くなります。腹の虫はぐうぐう、口の中に唾が貯まってきます。皿の上には、黒く銀色に輝いたプリプリ、いまにも飛出しそうなさんまが、火あぶりになるのを待っています。今年のさんまは、脂がよく乗っています。★赤く焼けた金網の上にのせると、程なく、ぐつぐつと、脂が浮いてきます。脂がポトリ、ポトリと火の上に落ちて、ボオと火柱が上がると秋刀魚の香りがたちこめてきます。慌てて団扇で火を消すと、モクモクと白い煙が辺りを覆ってしまいます。炭にならない内に皿に移したさんまを、箸でそっと割ると、真っ白い秋の味覚が待っています。★秋の夕暮れはつるべ落とし、急に背中が冷え込んできました。
11月
刈り取られた稲の株が新しいたんぼの畔道に、朝靄の明ける頃、エノコロの毛にキラキラと小さなクリスタルグラスをまぶした様な水滴が煌めいています。秋の足の長い光は、黄色、橙色、あけび色、朱色等に染った紅葉を透して万華鏡の様に揺れながら、秋の移ろいを教えてくれます。★紅葉の季節になると毎年思い出す景色があります。学生時代山岳部での、ある年の秋山合宿の事、これから登ろうとしている立山剣岳は、突き抜けるような青空に、頂上には真っ白な新雪を頂聳えていました。それに至る尾根は色とりどりの紅葉に包まれ我々を待っていました。その中ほどに一際色鮮やかな一本の樹が周りを圧して聳え立っていました。余りの見事さにこれからやってくる地獄の苦しみも忘れ見惚たものです。十二、三貫余りの汗臭いリュックと真っ赤な一本の樹は私の青春時代の思い出です。
12月
梢の上に散り残った紅色や黄色の紅葉が風も無いのに時折、宇宙遊永の様に枯葉の中に舞おりてきます。今年も一年が過ぎたなあと、柄にも無く感傷に浸る季節を迎えました。★国の府では、梢の先に取残された一葉のように寒風の中でぶらりぶらりと揺れている人がいます。ロッキード事件より二十余年、国民という観客は同じ筋立ての狂言に付き合う事にはいささか飽きがきました。国の政事に我々が不感症になることは怖い事です。荒波に翻弄される小舟の様な現在の地球上で、日本の国は大海に浮ぶパラダイス、黄金の国、ジパングの様です。テレビを眺め、この幸せな時代に生活できる事を政治家に心から感謝したいと思います。★私にとって、冬は天気予報がストレスになる季節です。神様、今年も皆様が無事通院できますよう、すぐとけてしまう雪をお願いします。