1991年『院長のひとりごと』より
2月 |
▼桃太郎さん、桃太郎さん お腰に付けた吉備団子、一つ私にくださいな。▼岡山県に伝わる桃太郎伝説は可愛いい、勇ましい、明るいイメージのキャラクターで巷を闊歩しています。初春の縁側、祖父の膝の上で読んで貰った講談社の絵本。日の丸の扇子を振り立てて先頭を歩く桃太郎さん。子供心に、赤鬼さん、青鬼さんのお母さん、子供達はどうしたのかな?と心配しました。ふとしたことで総社の地に関わった人生の巡り合いの中で、再び鬼さんの時代のワンダーランドに誘ってくれています。歴史は時間を越えて人間の知恵を教えてくれます。恵まれた気候と豊かな瀬戸内海に通じる総社を中心とした古代吉備の国は、遺物・遺跡を通して現代人にメッセージを送ってきます。時間を見つけて彼等達と話したり、歩いたりしてみたいものです。 |
3月 |
▼春の日差しが、甍に照り返り、目に眩しく、四季の息吹が、体内リズムを揺り動かすのが感じられます。しかし、風の温りを血の騒ぎで感じ、生命の語らいを膚で感じられた自分の中の感受性の衰えは淋しいものです。 ▼自宅の小さな庭の、アクラ等の赤い実も冬には里に降りてくる小鳥たちにすっかり食べつくされました。毎朝、「ピーコ、ピーコ」と仲の良いヒヨドリのつがいがやって来ます。葉を落とした木立の中で、唯一鮮やかな花を付けている山茶花の花を目掛けて舞いおりてきます。花の蜜を食べるのでしょうか、とんがった嘴を突っ込み食い散らして行きます。庭にはピンク色の絨毯が広がります。 今年は例年より、メジロ等たくさんの小鳥が訪れています。ミカンを切って枝に挿してやりました。皆仲よく食べてくれると良いがと期待して見ていました。体の大きいヒヨドリだけが、皮を残してきれいに食べてしまいました。メジロ等が近寄ると追散らします。 |
4月 |
★今年も桜の便りがちらほらと、聞えてくる季節となりました。昨年の日記帳を紐といてみました。『四月三日、桜満開。』蕾みの頃から満開の日まで、何回も何回も飽きもせず、心をときめかして通った事が、昨日の様に思い出されます。先月まで、庭先で囀っていた小鳥たちも顔を見せなくなってしまいました。 ★この春は、我が家にとって、私にとっても、大きな変化がありました。二人の子供が巣立って行きます。一つが二つに、二つが四つに、そして今、二つになりました。結婚した時に戻りました。 子供たちがそれぞれの学舎で見る、今年の満開の桜は白く輝き、脳裏に焼きつくことでしょう。何十年か経った日、毎春櫻のほころびを心待ちにするような人生を送ってくれることを親として夢見るのです。 |
5月 |
★今年の新緑は、私には特に鮮やかに映ります。梅、桜、桃の花が一度に咲く様な今春の出来事は、自然の神様の機嫌が悪くなったのかと心配しています。単に取り越し苦労であればよいのですが・・・。 ★名も知れない雑木達が、こんな緑も在るんだと美しさを競い合っているようにさえ思える五月晴れの日々は、私達の心が洗われるような気持ちがします。 クリニックに接する南の小高い丘も、雑木の緑で美しい装いに変わっています。この何でも無い丘は、宮山という、総社近郊の古墳の中でも古い古墳群です。散策の為の小道が整備され、休みの日にはちょうど手頃な散歩コースになっています。つつじと新緑に溢れる小道をたどり、総社の平野を見渡すとあなたも古代にタイムスリップできるかもしれませんよ。 |
6月 |
★我が家の庭は雀のお宿となりました。三月の半ばに餌台を作りました。いろんな小鳥が庭に来てくれることを夢見て餌を置きました。一ケ月が経った頃、周りの枝で様子を伺っていた雀がやっと餌台に足を掛けてくれました。それからは日を追う毎に増えました。しかし、用心深い雀は家の中で人の影がするとさっと逃げて行きます。 ★時々、母雀が二ー三羽の子供雀を連れて来ます。母鳥より大きく見える子雀は、黄色いくちばしをあけて餌のひえを受け取ります。他の大人雀が襲ってくると、母親は追い払います。子供雀は頬より胸にかけての黒い班点は薄く、胸毛もうす紫色のふっくらとしたうぶ毛に覆われ、体全体が綿菓子の様です。 他の小鳥も呼んでみたいのですけど、どうすればよいかどなたか教えて下さい。 |
7月 |
★『きんぎょうおいーきいんぎょ』真っ青な空と、ぎらぎらと輝く黒い亙、湧き上がってくるような緑の木々に照り返す夏の日差し。その間を縫うように、風鈴の音と共に、揺れながら金魚売りの声が聞えてくるのが夏の風物詩でした。 ★年をとるに従い、華麗で艶やかな物には、お金が入り用であるなあとわかるようになった今日この頃です。 |
8月 |
★真夏の夕べになると幽霊≠竍人魂≠フ話を子供を集めては聴かせてくれたあの¥ャ父さん達は、何処へいってしまったのでしょうか?「そんな話は、嘘じゃろう」と笑っていた子供達も、お互いの顔がはっきり見えなくなる時刻には、いつ帰ろうかとそわそわしたものです。こわ張った笑顔で「さよーなら」と一人になった瞬間、背中の闇に追い付かれないように、家の中まで走り込んで「ふー」と何事もなっかたように晩飯をかきこんだ夏の夜も昔の事なのでしょうか? 人魂がふわふわ飛ぶのを見に行こうと誘われ、怖い物見たさと強がりで墓場に行った時も足許は闇夜でした。小道は白っぽく浮き上がり、空にも天の川が同じ様に白く流れていました。★あの怖かった真っ暗な闇の夜は何処に行ったのでしょうか?幽霊の出やすい夜はもう帰ってこないのでしょうか。 |
9月 |
★世界で一番長生きで、世界一お金が集っている国。よその国から侵略される心配も無く、戦争の事はまして他人事、病気になれば国の手厚い保証が在り、巷には世界津々浦々の食品、商品が溢れている、こんな国が地球上にあるのです。 ★あり余ったお金で国の隅々みに横文字のリゾートタウンと言う、えたいの知れないものが国民の汗水の結晶で作られています。その内、年老いた団塊の世代の人達がゆっくり豊かな時間を異国風の遊園地で過ごすのでしょうか? ★昔の人達が夢見た桃源境は現代の日本かもしれません。しかし、私達はこの日本を心から誇りに思っているでしょうか。 世界で一番大きかった赤い国が揺れています。人類の新しい秩序が出来るまで、この地球は辛抱強く待ってくれるでしょうか? |
10月 |
★土べたの上に棒切れで丸い輪を画いて、はっけよい、のこった、のこったと、男と男が強さを争う相撲には、大和男の子にとって、何かしら心に浮んでくるものが在るのではないでしょうか。 雨の日の教室の床に、足で目に見えない土俵を書いて、鼻水を塗り付け合いながら争った相撲。学校の成績に関係なく、土俵の上では英雄で皆を取り仕切っていた餓鬼大将。時には体の大きな女の子も入り、小さな男の子をぶん投げていた校庭の上。私達の心のどこかに、体力の強いものが強いという、素朴な人間関係への憧れを土俵の上に夢想しているのかもしれません。★日本国中、新しいヒーロー、若、貴兄弟に熱い眼差しを送っています。強く、逞しく、清々しい若者の誕生は我々に言いようの無い力を与えて呉れます。大鵬の誕生の時の様に、卵が孵化するのを待つように、そっと静かに辛抱強く・・・。 |
11月 |
カサカサと黄ばんだ落ち葉が薄暗くなった軒先で回っています。大きな樹で屋根の上を覆われた古びたお土産屋さんが公園の片隅の夕暮れの中で静まり返っています。時々、子供の声が木々の中を遠ざかってゆきます。俺は何でこんな所へ座っているのだろうと想いながら、店先の番台や、おもちゃを見るともなく眺めています。時折、中で足音だけがパタパタ・・・パタパタ。突然おじさんとおばさんが現れ、慣れた手付きで慌てるでもなく、家の中にあっというまに取り込むと、バタバタと雨戸を閉めてしまいました。二人の動作の中に仕事を終わった安堵感を感じた時、急に自分の存在がすーっと、遠くの世界に消えていきそうで思わず見回しました。前にも増して、辺りは暗くなり、物音もしなくなりました。今夜は何処へ泊るかな。街の灯りに足を向けます。こんな旅が秋には似合いそうだ。 |
12月 |
木立の間をピューと吹き抜ける風が、細い梢にしがみついている赤茶けた枯葉を一枚一枚引き剥がしてゆきます。風の奏でる自然の音が、寒さの中で感動をよぶ冬の季節がやってきました。★先日、尺八を聴く機会がありました。袴姿のうら若い女性が一本の竹を息で振るわせ、旋律を奏でた一瞬、言葉に現わせない緊張感が走りました。会場の中は、皆息をも止めたような異常な静けさが支配しました。「木枯し」と題する曲の流れは息ずかいの強弱、振るえ、息こらえによって皆の心を日本の冬の野に解き放ったような時空が現われました。尺八の音と共に木立の間を擦抜けて谷川に至り、ある時は大空に飛翔します。★私達はモーツアルトよりもっと、心の琴線を理屈抜きに震わせてくれる大切な財産を忘れているのではないかと、ふと思ったものです。日本の、日本人の美しさ、大切にしたい。 |