ここでは、 前院長 杉本 茂が機関誌もみじに掲載していたコーナー『院長のひとりごと』より 過去の作品からご紹介していきます。 |
1989年『院長のひとりごと』より
2月 |
梅一輪 一輪ほどの暖かさ 嵐雪 私は瀬戸内海の島で育ちました。風はまだ肌寒いが、日差しが眩しく感じられる初春のこのごろになると、幼い頃の日だまりの光景を思い出します。 丁度、小学校へ上がる年、私の曽祖父は、九十余歳で健在で、祖母は父の好物などを持ってよく実家を訪れていました。ある日、私は祖母の着物のたもとにぶら下がり、草履をぱたぱたと鳴らし乍ら島の埃ぽい坂道を登っていきました。風の無い島の初春は暖かく、白い道の照り返しは目に眩しく、空は青く澄んでいました。曽祖父の部屋は母屋の玄関を入って、座敷の前を通る長い縁側の突き当りの離れにあり、祖母が台所で膳の用意をしている間、一人で人気のない縁側をばたばたと走って行きました。薄暗い縁側が、突然明るい離れの日だまりに飛び出し、そこだけが妙に明るく浮び上がって、曽祖父は古びた藤の長椅子からずり落ちそうに横たわっていました。着物の裾がめくれ、おちんちんをのぞかせて気持よさそうに目を閉じ、おてんとう様を一杯に浴びていました。私は暫くの間立ち尽くしていたようです。暖かく、どこまでも静で、鳥の囀りだけが時々聞えていたことを憶えています。それが、私の「死」との始めての出会いでした。それから四十余年、私は医者として、人間として、あの暖かく、静かな一瞬を大切にしたいと思っています。 |
4月 |
つまだちて卒業式の 歌うたふ 清崎 敏郎
五厘はげを みつめて歌う「仰げば尊し我師の恩・・・」「・・・ん・・・」と鼻にこもってのばすと、何となく、もの悲しくいい気分のあの頃。退屈な祝辞にしびれた足をもぞもぞ。 恐い先生が澄ました顔。手訓れた言葉に嘘っぽさを感じた子供心。毎年学年の増える不思議さ。黒光りしていた手すり。丸くすりへった階段の板。お面白くあいた節穴のある腰板。今も憶い出す 木の肌のぬくもり。「あれが学校だったのか?」 古い木造の小学校も取り壊され、新しい近代的な建物も 今日の子供に新しい思い出をつくるでしょう。 |
5月 |
▼世の中に たえて桜の なかりせば 春の心はのどけからまし 在原 業平 ▼平安の昔から大和民族の花鳥風月を愛でる心の変らなさを知り、滑稽さを禁じえません。業平さんは、20世紀に異文化と交わった子孫が右を左をうしている様を想像できたでしょうか。貴女が悪いのではないのです。余りにも恵まれた自然が悪いのです。 ▼時折吹く肌寒い夕闇の風の中に、桜の青くさい花の香を感じるとき、現を忘れ夢の中を彷徨う春の一日は何物にも代え難く思われます。▼ねがわくは 花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ 西行法師▼満開の桜の木の下に立つとき,白く輝く花のレースを通し,春霞の漂う煙る青空を見上げるときの恍惚とした感情を覚えたのはいつの年からでしょうか。▼若い時は,新緑や花ばなを,五感総てで感じ自然に融け合い,春の息吹に体を突き動かされていました。▼色々の木々が醸し出す新緑は,目より入り感情を揺り動かします。私を優しく包んで,慰めてくれるこの自然を大切にしたいと思います。 |
6月 |
お初にお目にかかります。私は蛍の蛍子です。仲間のみんなに代わって、一言お礼を言いたいのです。皆様の温かい思いやりで、たくさんの仲間が増え、その上、東京という大都会に飛行機で旅行させていただき、みんなきっと喜んでいることでしょう。 しかし、東京の水にあうのか心配しています。後当地の街々でも、親切な人々が私達のために、お祭りをしてくれています。静かな田園風景の中で明りをこうこうと照らし、カラオケの歌もにぎやかに祝ってくれているのでしょう。 たくさんの人々が列をなして、いつもは静かな寝ぐらを訪れ、仲間をつかまえて帰られるのは、本当に寂しい事です。 |
8月 |
古池や 蛙飛込む 水の音 松尾 芭蕉 どんよりとした、深い緑色に包まれた水の面に、「ぽちゃーん」 ゆっくりと広がる波紋・・・。時間と空間の美意識と無常観が漂います。 あれは、高校三年生の夏休みの事でした。仲のよかった友達の家に泊まりに行きました。夕食も終わり、夕涼みがてらぶらぶらと出かけました。裸電球に夏の虫が飛び交う人気のない映画館の前に足が止まりました。入口の前には、だれも居ません。目くばせをして、そーっと、早足に館内に潜り込みました。胸をどきどきさせ、スクリーンを見ると、磯辺に漂う小舟が一叟、縞の着物の女が座っています。オーバーラップし流れる曲・・。「佐渡はいよいか、住みよいかー」。今は映画の筋も、その夜をどうしたか定かな記憶もありません。夏の蒸暑い夜には妙に思い出される私の青春時代の一ページです。 それが私が美空ひばりとかかわった数少ない思い出の一つでもあります。その時の友も彼女よりもっともっと早く逝きました。 |
9月 |
私の育った家のすぐ前は砂浜を挟んで海でした。海水パンツに履きかえると朝から夕暮れまで水の中、ひいた海辺で遊んだ事でした。日中の海は、村中の子供たちが集まり蜂の巣をつついた様に賑やかでした。遊び疲れ冷え切った紫色の唇を太陽に焼けた防波堤の石垣に口づけをすると、尻の穴まで温るなぁと入道雲を見上げていました。それもお盆を過ぎると濡れた裸に風が沁みるようになります。 忘れていた(?)夏休みの宿題が肩に重くのしかかり、先生の怖い顔が目の裏に見得隠れする苦悩の日々が思い出されます。「もみじ」の締め切りもすぎ、編集者に追いかけられる日に、ふと思い出した苦い夢でした。 |
10月 |
野分あとの 柔らかき日が 朝飯に 細見 綾子 高い秋空に掃いたような白い雲「ぱしゃーん、ぱしゃーん・・・」と打ち寄せる波の音は白い白い砂に戯れるように聞えます。荒れ狂う海、吠える風に身を縮めた一夜が嘘の様な朝の海岸です。海辺の道は綺麗な砂で埋もれ、波に壊された家も見当ります。いつも見慣れた景色が、見知らぬ世界に変った様で、子供心にも大人の人に悪いと思いながらも浮かれる様な時間を過したことを想い出します。その海岸通りも今では灰色の高いコンクリートがつづいています。波の音も、海の色も遠い世界です。 |
11月 |
西の空が紅に染り、星が冷たく瞬き、肌寒い季節になると、今まで経験した旅の出来事を想い出すことがあります。頬をうつ夜風と、家並の窓より漏れてくる明るい燈が人恋しく、誰かと語りたくて、縄暖簾をくぐったのは少々生意気盛りの旅の夜でした。小学校時代の修学旅行は今考えると不思議なくらい、透きとおった、未知への旅でした。 ある夕の出来事が、前後の脈絡もなく鮮明に思い出されます。最初の旅館でした。生理的欲求にせっつかれ慌てふためき、例の場所に急ぎました。戸を引くと良い香に満たされていました。煌々と輝く電燈の下の、真白い眩しい部屋に立ち尽くしていました。一点の曇りも無い、すべすべした陶器が並んでいました。おずおずと近かづき、そっと、つま足立ちになり、小さなホースをとりだし勢いよく小便が落ちてゆきます。そこには、白くきらきらと輝く玉と、淡い緑の玉がころころと遊んでいました。「ああ、これがボクの知らなかった世界だ。」 頭の中が白くなった最初の体験でした。 |
12月 |
クリニックの小さな庭にも秋が通り過ぎてゆきます。つい先頃まで、西日を透かして色づいていた花見月の枝も、木枯しに一枚一枚衣を剥がれてゆきます。今年の欅は輝くような金色に包まれていません。夏の間、元気がなかった所為でしょうか。このちいさな世界にも四季折々の物語があります。瑞々しい緑を恵んでくれた樫の木も茂りすぎると新芽の成長がよくありません。栄養が悪い木々は正直に虫に蝕まれます。木は色々なことを教えてくれます。春には再び、命の慶びを歌ってくれるでしょう。それまで、北風に耐えてください。心から、花さん、木々さん ありがとう。 |