ここでは、 前院長 杉本 茂が機関誌もみじに掲載していたコーナー『院長のひとりごと』より
過去の作品からご紹介していきます。


1988年『院長のひとりごと』より

1988年6月

畦もまた、青田の色に近つけり  米沢吾亦紅

 先日、テレビを見ていますとフランスワインの産地(ブルゴーニュ地方)の農村での、通学風景を写していました。舗装されていない田舎道を、子供達が鞄を背負いテクテクと歩いて行きます。 道端には、青草が茂り道の中程まで這い出しています。凹凸した道には水溜りがあり青空を写しています。 
何事かふざけ合いながら歩いたり、走ったりして畑の中の小道を学校に向っています。
私の脳裏に『道草』という言葉がよぎります。子供の頃、通学の途中・遠足の時、雨の中水溜りで衣服をドロドロにした事、夏の日、乾いた土ぼこりで足が真白くなった事・・・・・。
今日の私達は、道路は知っていても『道』を忘れてしまったようです。どんな山道細道でもアスファルトで舗装され車は一年中快適に走る事ができます。世の中、便利に快適になりました。
 しかし何か私達は忘れながら、捨去りながら時代を進んでいると思うのは贅沢な独り言でしょうか?一度立止まって、寝っころがって、人間と自然との付き合いを考え直してもいい時に来たのではないかと思うこの頃です。

1988年7月

水際に  逃げて蛍は  灯を点く  大塚 すみ子
夏の闇の中の森陰を、青白く残像を残して 音もなく縫っていく蛍は、現を忘れてさす 風物誌です。
川のせせらぎの中で、自然の妙に我を忘れる間もなく、車の音が夢幻を引裂いて通りすぎます。
今日の物の豊かさに心を奪われず野の草、鳥や虫と仲よくして神秘の宇宙に浮ぶエメラルドの様な ”ノアの方舟”地球をいつまでも大切にしたいと・・・・。

1988年8月
夏の夜空に威勢よく揚る、花火は日本民族をよくあらはしている風物詩です。配色、完成された様式美、時代の変化を常に取入れる斬新さ、モザイク模様の様な私たちの民族性をこれほど迄に表現している物はありません。一瞬の輝き、潔さ、桜の美しさを愛でる心根に共通する所があるようです。民族が共有する血の温り、共鳴する高ぶりは長い月日を掛けて風が、太陽がそして緑の樹ぎが育んでくれたもので在ることを人々は忘れてはいけません。けして膚の色が、髪の色が、目の色が異なろうと豊釀な日本の自然は暖かく包んでくれることでしょう。新しい日本民族の為にも美しい風土に愛情を。
1988年9月

季節は、忘れる事なく秋風を運んで来ました。 夜ともなると 青い月影の下、虫が草叢から四季の移いを奏でています。

ミスター珍   
皆様この珍名な名前を憶えていますか? 今を去る事、20年前 テレビがやっと街頭に顔を出した頃、力道山、豊登、シャープ兄弟、オルテガが白と黒のちらつく丸いブラウン管の中で暴れていた頃 小さなレスラーが、軽妙な コミカルなアクションで人気のあった事を憶い出します。当年52歳,糖尿病による視力障害そして腎不全、現在週2回の血液透析を受けているとの事です。その珍さんが、再びリングに戻るべく レスラーのトレーニングを始めているそうです。「プロレスが好きだから 」プロレスはやっぱり夢を与えてくれるのかなと、力道山の頃の風が流れて来る思いです。

1988年10月

私の、四季の楽しみの一つに、秋刀魚を食する行事があります。
暮馴染む初秋、虫の音の心地好い庭先で、七輪を出し、炭を起こします。うちわを火口でパタパタと仰ぐと、パチ、パチ 火の粉が舞い上がります。黒い炭の下が、ポ〜ポ〜と赤くなります。
魚焼網をおき、銀白色にぷるぷりと輝く秋刀魚を一匹、二匹と並べます。
夕暮の中で紅に、静寂が周りを包みます。
ぷちぷち、じゅ〜じゅ〜、と火の上に魚脂が飛散ります。突然、ぼ〜と炎が秋刀魚を包むと白い煙がもうもうと周りの木だちの中に消えてゆきます。今年の秋刀魚は脂が良く乗っているようです。白い大根おろしと、炊き立ての御飯を用意します。ほろ苦い臓物と少しぴりぴりしたおろし、御飯が口の中で広がります。
秋です。今年も秋がやって参りました。
背中を冷たい風が通り抜けて行きます。

1988年12月

 師走になると、寒風と共に当然のごとく 「紅白歌合戦」の話題が人々の口の端にのぼった時代は遠い昔の様に思えます。
 子供も御年寄りも皆で歌った「お富さん」の様なはやり歌が、この日本から消え去って久しい年月がたちます。
世代を越えて 心を通じ合える歌がなくなったのはどうしてでしょう?
目の前に在るような鮮明な画像と忠実な音を出すテレビが家庭内に置かれ、遠い外国での出来事を隣の家の事の様に伝えてくれる時代です。