2025年4月

 インターネットとはやはり便利なもので、自分の好きな曲を動画サイトで簡単に聴くことができます。しかし無料で聴いていると、曲の後で突然何かの宣伝画像がにぎやかに流れ始めてびっくりすることもあります。
 実際の生活では、ネット広告のような素早い切り替えが簡単に起こるわけではありません。特に人の気持ちというのは難しいなと感じます。明るくて楽しい気持ちがずっと続いてくれれば言うことはないのですが、苦しくて重たい気分がどっかり居座ってしまう日も少なくありません。特に具体的な悩みや問題を抱えている場合は尚更でしょう。
 透析専門医である私は、患者さんや御家族、また透析スタッフの悩みや辛さに共に向き合うのが仕事です。人の訴えやお話に耳を傾け苦しい気持ちを共有しようとすると、自然に私の内面にも重たいものが形作られます。話が終わっても、重たい何かが心の中に残り続けることもよくあります。それが思いを共有するということなのでしょうか。
 小説やドラマなどでは、主人公が長い期間思い悩み続けていることがあります。主人公に自分を重ね合わせるような経験は誰にでもあるでしょう。そこに突然無関係な広告が入るように、自分の内面も切り替えられないかと最近よく考えます。
 そんな簡単に気持ちを切り替えたりして人の悩みに向き合えるのか、という批判もあるかと思います。しかし世の中の悲劇を一身に背負ったような顔で悩み続けても、それで問題が解決する訳ではないようです。一定の時間人と苦しみを分かち合った後は、また淡々とした日常の仕事に戻ることも必要なのかもしれません。
 静かに手や体を動かしているうちに、一筋の希望が見えてくることもあるようです。ネット広告のように半ば強引に、悩んでいる最中に穏やかな日常の営みを持ちこむことも悪くないように思っています。

もみじ4月号 四方山話より