2024年12月

 今年は日本でもアメリカでも大きな選挙があり、現政権に対して厳しい結果が出ていました。報道では有権者の怒り、ということが繰り返し伝えられていたと思います。日本では与党の裏金問題、アメリカでは物価高と経済格差が主な怒りの対象だったようです。怒りというのは今年を象徴する言葉になるのでしょうか。
 自分がこつこつ積み重ねた努力がまるで報われず一部の特権的な人々ばかりが優遇されていると感じたら、どこかに怒りをぶつけたくなるというのはよく分かる気がします。また自分は何も不正は働いていないのに一方的に怒りや攻撃の対象にされたと思えば、これまた怒りをもって報復したくなるのも当然でしょう。
 実は先日透析に携わる我々に身近な学会でも、言葉ではなく腕力で論戦に決着をつけようとした先生が現れて話題になりました。よほど腹に据えかねる何かがあったのだと推察しますが、怒りに我を忘れるということが透析関係者に広がるのは考えものです。
 自分の怒りはきちんと抑制できていると思っていた私も、自分でも気付かないうちにまだまだ内心で怒っているような気がしてきました。これはよくないことです。怒りをコントロールする研修を管理職に行う会社が増えていると聞きますが、私も研修を受けるべきなのでしょうか。
 喜怒哀楽という人間らしい感情を否定するつもりはありません。けれども怖い顔で威圧したり言葉で脅したりするよりは、笑顔や優しさの持つ力を追求する方が医療の現場にも合うような気がします。
 来年も世界中で怒りの嵐が吹き荒れるのかもしれませんが、適当に怒ったり笑ったりしつつ、嵐が過ぎ去る時を待ち続けられたらと思います。

もみじ12月号 四方山話より