2023年2月
 長引くコロナ禍のためか、ふと周囲の雰囲気がぎすぎすしているのに気付くことがあります。明らかにご立腹の方が目の前におられたり、誰かの重たい沈黙や何かよそよそしい態度に戸惑ったりすることなど、皆さんもご経験がないでしょうか。
 私は顔つきや目つきが悪いのか、「怒ってる?」と若い頃よく言われては「怒ってない。」と返事をしていました。今振り返れば、自分でも気づかないうちに何かに対する憤りや苛立ちをため込んでいた可能性はあります。それは活気のある様子で振る舞っておられる方々も内心では同じかもしれない、と最近考えます。やはり多くの日本人は怒りや悲しみなどの感情を、抑えて暮らすことに慣れているのでしょうか。
 喜怒哀楽といった人間らしい心のあり方は、全ての人に許されている筈だと思います。けれども感情はあくまで感情であり、大手をふるって正当化するのがいいことかどうかは微妙です。誰かに怒りを向ければ、相手だって嫌な思いをするでしょう。自分だけが感情を吐き出してスッキリすればそれで終わり、とはいきません。
 維持透析は基本的に集団生活の中で営まれます。様々なぶつかり合いや行き違いはどうしても生まれますが、怒りの声で物事が良くなったという経験はありません。誰かが一方的に何かを主張すれば、他の誰かが我慢する。しかしその我慢もどこかで限界に達します。様々な形のやりとりを繰り返してお互いを思いやることの価値は、年を追う毎に私には強く感じられます。
 一人の人間として、自分の中に生まれた思いや感覚は率直に認めてよいと思います。ただ他の人への敬意や感謝の気持ちも忘れることはできません。透析施設で大半を過ごす毎日は、いつも私に背筋を伸ばして人と向き合う意味を教えてくれる気がします。
もみじ2月号 四方山話より