2022年2月

 感染力はデルタ株の2倍以上というオミクロン株の到来と共に、新型コロナウィルスの第6波がやってきました。冬の寒さと合わせて、またしばらくは患者さんにも医療従事者にも厳しい時期が続きます。各種の制限が緩和されていた日常生活も、また修行のような我慢の日々に戻るわけです。
 コロナ禍に耐える日々の中で、家庭内暴力の増加が示されています。また子供への新型コロナワクチン接種が始まる前に、厚生労働省からはワクチンにからんだいじめに警鐘が鳴らされています。大規模な感染症に多くの人が苦しむ中で暴力やいじめが増える傾向にあるとも考えられますが、果たして打つ手はないものでしょうか。
 昨年末には大阪でビル開業のクリニックが放火に遭い、大勢の人が亡くなる事件が起きました。ここまで凄惨な例はごく少数ですが、人を孤立やうつ状態に追い込むようないじめや社会的暴力はコロナ禍の前から医療の世界に存在しています。暴力と言っても殴る蹴るという分かりやすいものでなく、巧妙で証拠を残しにくい威圧や恫喝の方が幅をきかせているようです。
 新型コロナウィルスも精神的な暴力も、目には見えず手には触れないという点で共通しています。カミュの小説「ペスト」がコロナ禍の中で広く読まれているそうですが、伝染病に見舞われた社会での様々な圧力や苦悩が、人を文学作品に近づけるのでしょうか。文学や芸術が災害に傷ついた社会の復興に果たす役割は、阪神淡路や東日本の大震災でも示されました。優れた文学を味わうことが医師にとって有用である、と古くから言われていた理由が何となく分かります。
 私も当分の間オミクロン株とそれを巡る問題への対応に追われる予定です。そしてすぐ人に影響されるようですが、仕事部屋に小説を持ち込んでみました。姿の見えない敵との戦いには医学だけでなく文学の力も役立つはず、と考えています。

もみじ2月号 四方山話より