2021年12月

 最近、「子育て罰」なる言葉が出現したと聞きました。子育てを原因に不当な扱いを受けた、と感じた人が多数おられるということでしょうか。それにしても「罰」とは何とも気持ちが重苦しくなるような気がします。
 忖度したり空気を読んだりできない人は罰せられて当然だという考え方は、私達の住む社会に深く根付いています。力のある多数派が立場や考え方の違う人を押さえつける有様は、私も数多く目にしてきました。理不尽だと思いながら何もできず何も言えない、そういう悔しさが「子育て罰」という言葉に込められているのかもしれません。
 透析医療も、まだ偏った見方をされている面があります。透析患者や透析施設は過分に優遇されているのではないか、という意見は今でも一定の勢力を保っています。社会の中では少数派である透析患者さんを支える医療や保険制度は、先達の方々の大変な努力により現在の形が作られてきました。今の透析医療の有り方は行き過ぎているのか、それとも当然の権利であるのか。その辺りのことは誰にも断言はできないと思います。
 新型コロナウィルスを巡っては事実無根の情報が噂やインターネットで広まり、心無い誹謗中傷が患者さんや医療機関を苦しめました。事実や真実よりも、空気や雰囲気の方が重視され支配的な力を持つ傾向を様々な所で感じます。
 個人の大切さが軽視され多数派の権力や曖昧な空気の力が支配する状況で、むきになって何かを主張しても残念ながら大した力にはなり得ません。かけがえなく大切なもののために私の手にあるのは、静かに持続する意志です。頑張っている人に理不尽な罰を与えようとする力には無理に逆らうことなく、時間をかけて大切なものを育てていく私達の営みは来年もまた続きます。皆様どうかよろしくお願い致します。

もみじ12月号 四方山話より