2020年3月

 私は医者になって20年以上経つのですが、いまだに患者さんやご家族から時々怒られています。開業医には検査でも治療でも、大きな病院に比べれば多少の限界があります。せっかく患者さんから困っていることについて色々お話を伺っても、解決のための行動はとれないことが珍しくありません。
 振り返れば自分には、誰かの病気を鮮やかに治したような記憶が少ないのに気づきます。それでもいまだに毎日仕事をしていて、とりあえず廃業の予定もないのは有難い限りです。大したことはできないようでも人の話を聞くことと人と共に悩むことはできる、という点が一つの鍵なのでしょう。
 病気でも個人的な事情でも、辛いことを抱えた時一緒に悩む人がいるということは、まったくの無駄ではないようです。むしろ簡単に対処できたなと思う事例の中にこそ落とし穴が潜んでいます。一筋縄ではいかない問題にさんざん悩んだ後に、物事が少し前に動くことがあると思います。頭を抱えて動けなくなりながらも「そのうち何とかなるのでは」という僅かな望みにしがみついていられるのは、私が少々年をとって厚かましくなった成果かもしれません。
 自分は医者なのに、患者さんや看護師の前で一体どうしていいか分からずうんうん苦しむなど恥ずかしいし面倒である、という気持ちも少なからずあります。そんな事態を恐れずに悩みや苦しみの傍へ寄っていけるか、ちょっとした思い切りが必要になります。横着をしてさっさと仕事を片付けようなどど考えていた後に、どうも誰かから責められている気がします。
 颯爽と格好よく問題を解決する名医であることは、取りあえず他のどなたかにお任せしておこうかと考えています。人から怒られたり睨まれたりしながらも時間をかけて悩み続けることは、透析や地域医療の現場に立つ私の務めであるようです。

もみじ3月号 四方山話より