2019年3月

 うちの職員や私の家族、友人には、物語を読むのが好きだという人が少なくありません。ある人がお話を語り、多くの人がそれに耳を傾けストーリーを共有するという営みは、実は古代から連綿と社会に受け継がれてきたのだそうです。人気の映画やテレビドラマに代表されるように、物語には人を動かす大きな力が隠されているとも言われます。
 小説やファンタジーを書いて人の心をとらえ共感を呼ぶことのできる作家とは、すごいものだと思います。私も子供の頃から本を読むのは好きでしたが、短くとも自分の書いたものを人に読んでもらうのはなかなか気を遣います。自分の話を人に聞いてもらうだけでも一苦労で、物語には才能が必要なのだと嫌でも実感させられます。せめて今の私が人に伝えられるストーリーとは、「医療はやはり人を幸せにする。」ということでしょうか。
 医者にもできないことはある訳だし、日々無力さや限界と向き合いながら幸せだなんて嘘くさい、と思われるかもしれません。私としては東日本大震災の後から少しずつ感じてはいたのですが、昨年の西日本豪雨に遭遇して、更に思いが明確になってきました。「今、自分は幸せなんだな。」いつも同じような白衣を着てクリニックの中をうろうろし、あっちで怒られ、こっちで謝ってばかりのような日々ですが、そう思えるのです。
 医療を通じて人が幸せになるという物語は、聖人君子の医師や善意あふれるスタッフでなくても共有可能です。目の前の出来事に対して自分の役割を担い続けること、医療や医学について毎日少しでも探求を続けることなど、その気になれば誰でも参加できます。職種によっては国家資格がなくてもいいし、患者という立場からでも大先輩が大勢います。何とも地味ではありますが意外な底力を持ったこの物語を、私はこれからもこのクリニックで続けたいと思っています。

もみじ3月号 四方山話より