2019年2月

 日本中で多発する災害の影響かと思うのですが、最近「寄り添う」という言葉をよく聞くようになりました。「被災者の方々一人ひとりに寄り添う」という具合です。私のようなおじさんに寄り添われて嬉しいのかどうかはともかく、苦しい時や辛い時に優しく親切に接してくれる人には確かに感謝したくなります。
 困っている人を継続的に支援することを謙虚に言い表しているのだと思うのですが、この寄り添うという営みも実際にやってみると色々なことにぶつかります。昨年の水害でも、被災者支援のために奮闘する総社市の方々を間近に見て、本当に頭の下がる思いがしました。「一体いつ休まれているんですか」というくらいに働き続けても、人から返ってくるのは感謝やねぎらいばかりとは限りません。逆に批判や攻撃を受けたり、際限のない要求に疲弊していったりするケースもなくはないようです。
 そうではあってもやはり見えてくるもの、聞こえてくる声があります。災害や病気だけでなく、生活や人間関係に悩み、傷ついている人たちの姿がこちらに迫ってくることがあります。表面では勢いよく活気づいている人でも、実は色々と辛い事情を抱えていることが後から分かることもあります。時には人の理不尽で敵対的な態度に向き合いながらも、なぜ支援の手は差し伸べられ続けるのか。こんな疑問に対して、利他の精神という考えが浮かんできます。
 今は世界中で排他的な「私たち第一主義」が盛り上がっているようですが、人のために黙々と何かを続ける利他の精神も負けずに息づいています。時には「お前もうあっちへ行け」とばかりに邪険な扱いを受けながらも、透析医療に寄り添い続けるのは我々の仕事だと私は考えています。うっとうしいと思われるかもしれませんが、まあそう言わずに一つよろしくお願いいたします。

もみじ2月号 四方山話より