2019年10月

 医療の分野では患者さんの個人的なデータを研究のために使わせて頂くことがあります。そのときには患者さんから同意書を頂くのですが、そこには同意して頂いた後でも気持ちや考えが変わったらいつでも申し出てください、という一項が必ず書いてあります。一度「はい、いいですよ」と言っても後になって「すみませんが、やっぱりだめです」と取り消したくなることは、誰にでも有りうるからでしょう。
 「一度『いい』って言ったでしょ」と嫌な顔をされそうな不安があるかもしれません。しかし取り消しややり直しにおおらかな考え方が広がりつつあるのは、やはり良いことであるように思います。後で取り消せると分かったほうが、何かを頼まれた時に「いいですよ」「ああ、どうぞ」と言いやすいですよね。
 「軒下を貸して母屋をとられる」とか「蟻の一穴が堤防を崩す」など他人にうっかり好意や寛大さを見せると、あとで後悔するから気をつけろ、と教えることわざや格言があります。「あなた、あの時『いいよ』って言いましたよね」と一度言質を取ったら後々までそれを振り回す人もたまにおられます。世間の厳しさや世知辛さを考えるとそれも理解できるのですが、何だか少し息苦しい感じもします。もうちょっと柔らかい感じでも大丈夫なのでは、と私は思うのです。
 平素から人のお願いや依頼に気軽に応じたり、自分より人のことを優先した行動を積み重ねたりしている人は、さあ困った、という局面で周囲からの理解や援助を得やすいようです。「分かりました」「どうぞ」と、さらりと言えない私の器の小ささは何ともし難いのですが、前例やそれまでの経緯にとらわれ過ぎず、眼の前の出来事には柔軟な対応を心がけたいと思います。

もみじ10月号 四方山話より