2018年8月

 7月の豪雨で被災された方々に、心よりお見舞いを申し上げます。また多くの方々からご支援とお気遣いを頂きましたことに厚く御礼申し上げます。
 7月6日金曜日の夜遅く、総社市内を流れる高梁川が氾濫危険水位を超え避難指示が出ました。当院では夜間透析を少し早めに切り上げて患者さんにご帰宅頂き、私と主任2名は浸水に備えて院内で朝まで過ごしました。
 翌朝7月7日土曜日、総社市中心部は無事でしたが高梁川に注ぐ小田川が氾濫し、お隣の真備町に大規模な浸水が起こりました。早朝の段階で、一部の患者さんや職員が被災したとの情報が入りました。不安の中で出勤してくれた職員は、予定の透析や外来の診療に加えて、被災された患者さんの受け入れと透析を夜遅くまで続けました。浸水で診療不能となったまび記念病院の主任さんや真備消防団の方々が、行き場を失った透析患者さんのため大変な尽力をされているのがよく分かりました。
 7月8日は日曜日で、前日からそのまま当院で一夜を過ごした患者さんをしげい病院に受け入れて頂き、続いて自衛隊により搬入されたまび記念病院の透析患者さんに対応しました。もちろん当院の仕事は看護師、臨床工学技士、事務員ら職員がみんな頑張ってくれたのであって、院長の私はそこら辺をうろつきながら「うん」とか「はいはい」、「それでいいよ」などと言っていただけです。色々とお気遣いを頂いた皆さんには恐縮ですが、実際そうなのです。
 7月9日月曜日にも透析患者さんの受け入れは続きましたが、夕方頃には院内の一部で疲労や苛立ちの色も見え始めました。しかし状況を説明して回る中で、「ああ、いいですよ。分かりました。」「そりゃ困ったときは皆お互い様じゃ。」など多くの言葉に励まされる思いがしたのもこの時です。
 豪雨直後の当院ではこんな風に時が過ぎていきました。しかし真備町を始め被害の復旧はまだ途上です。災害を前に自分の無力さを痛感しながらも、人とのつながり、助け合いの暖かさ、有難さもまた忘れがたく心に刻まれました。私自身の弱さ、情けなさを忘れずに直視しつつ、それでもまた透析医療、地域医療を続ける中に必ず道は開けることを信じています。

もみじ8月号 四方山話より