2018年4月

桜咲く4月というのは多くの子供や若者にとって新しい何かが始まる時期であり、かつては若かった我々も多少は華やいだ気分のおこぼれにあずかれるような気がします。最近市内に新しく開設された施設で活用が期待されるのが、引きこもり対策の「居場所」です。幼稚園から大学まで一貫して集団生活が少々苦手だった私には、引きこもりというのは他人事ではない気がします。
 少子高齢化、人手不足の特効薬とばかりに最近よく使われる「生産性」という言葉がありますが、私は根が怠け者なのかどうもピンときません。「あなたは生産性が低い」などと決めつけられたらどんな気持ちがするか。人の価値は稼ぎ出した金額のような数字だけで表されるのか。色々と疑問が湧いてきます。逆に「私はこんなに生産性の高い人間なんですよ。」と周囲に示し続けるのは、自分も周囲の人も何だか疲れそうです。
 私は日本という国も岡山という土地もなかなか良いところだと思って暮らしており、能力にも働きにも優れた方々がそれを支えておられることに感謝しています。しかしどんな偉い人でも他人をろくに休ませもせずにこき使ったり、自分の思い通りに動かない人を「いなくていい。」と切り捨てたりしていいものでしょうか。
 とりあえず自分の居場所がある、というのは子供や若者だけでなく誰にとっても大切なことです。またどんな状況でもそれなりに居場所をこしらえることができる、というのは生きるうえでなかなか役立つ能力です。自分の恵まれた境遇を有難く思うだけでなく、人のための居場所をそれとなく用意し続けることができないか。息が詰まりそうな孤独の中にいる人に、およばずながら手を差し伸べることはできないか。誰に頼まれた訳でもないのですが、私はこれからもそんなことを考え続けていくと思います。

もみじ4月号 四方山話より