2018年3月

 先日たまたまある所で中学時代の恩師にお会いしました。当時の私は今以上にマイペースで先生にも色々とご不快な思いをさせていた筈なのですが、先生は笑顔で再開を喜び励ましの言葉をかけて下さいました。有難いことです。先生に担任して頂きながら高校受験に臨んだ頃を思い出しました。
 23月は受験シーズンで多くの若者に悲喜こもごもの春が訪れる時期ですが、とかく受験とか勉強といったものは孤独で地道な営みと考えられがちです。オリンピックでメダルを取った選手と、選手を支えるコーチやスタッフとの暖かい交流が語られたりするのとは対照的な印象もあるかもしれません。努力するもしないも、結果が出るも出ないもその人次第という訳でしょうか。
 確かに人は生きるうえで様々な努力をします。職場の人間関係と折り合うのも努力、お客のわがままを何とかするのも努力、自分も持病を抱えた身で親の介護に追われるのも努力、それぞれの場所で大変な思いをされている方が大勢います。私はこれだけ頑張ってきた、その努力を軽く見ないでほしい、と考えるのもまた自然なことです。
 「ここまでやってこられたのも、皆さんのおかげです。」と書いてみると何だか優等生的な発言という感じもしますが、これをぶつぶつと口の中で繰り返してみるとどうでしょう。なるほど確かにそうかもなあ、という気がしてこないでしょうか。思いが言葉に現れるのと同様に、言葉が気持ちを変えていくこともあるようです。
 辛い思いに耐えながら努力する人は立派です。その一方で人に感謝できる人、人のために笑顔になれる人にもまた魅力を感じます。結果を出すための道筋は一つではありません。周囲で自分を支えてくれている人達を大切にしながら、時間をかけてゆっくり頑張るのも一つのあり方だと思います。

もみじ3月号 四方山話より