2018年10月

 先日の豪雨災害では、自宅の二階や屋根から自衛隊のボートで救出された、あるいは死の不安を感じたというお話を直接、間接に伺いました。そして最近は関西や北海道でも大きな災害がありました。平穏な日常から一変して命の危機を感じる経験を多くの方がなさった今、ここで生きているということの意味を改めて考えさせられる気がします。
 9月には厚生労働省の名前入りで、あるポスターが当院にも届きました。毎年この時期は自ら命を絶ってしまう若者が多くなるというので、その防止に向けた啓発の一環です。災害に直面し必死で生き延び、頑張ろうという声が上がる傍らで、生きているのが辛くて仕方ないという思いを抱える人がいるのだと知らされます。他人を押しのけても自分が先、と考えるような人に比べれば、自分の命で解決を図ろうとする若い人は真面目で心優しい一面を持っているのだろうと思います。
 「お前そこで何しよるんじゃ」「息しとんじゃ」中学生の頃耳にしたこんなやりとりを最近よく思い出します。何とか生きて、息をしている。たったそれだけのようですが、生きてさえいればそこからまだ色々なことができます。状況の厳しさと自分の弱さにお先真っ暗な気分になったとしても、何もかも終わってしまう訳ではありません。人とケンカを売り買いする度胸はないが、「まあ息ぐらいはさせて頂きますよ」と居直ることは私にもできそうです。
 死ぬほど辛いということと、実際に死んでしまうことはまた別です。苦しい経験が後になって生きてくることも十分あり得ます。倉敷出身の星野監督が「ネバーギブアップ」を合い言葉に優勝したこともありました。今この瞬間に人も自分も息をしている事実を噛みしめて、まず一歩、また一歩と我々はまた前に進んでいけると思います。

もみじ10月号 四方山話より