2017年9月

“「あなたは今まで本当に辛い思いをしてこられたのですね。よく頑張られました。もう無理をしなくてもいいのですよ。」先生からそんな優しい言葉をかけられて、思わず涙が溢れてきました。ようやく私を分かってくれる人に巡り会えたと思いました・・・”最近あちこちでこんなエピソードを見かけるのですが、そのたびに少し考え込みます。そんな先生になるのもいいかなと思う反面、実際には難しいなあという気もするからです。
 私を理解してほしい、認めてほしいという思いとは裏腹に、人を攻撃し支配するかのような言動は何とまあそこら中に溢れていることか。先ほどのエピソードもそんな状況に疲れ果てた人から語られているのかもしれません。しかし人のことも考えるという努力なしに自分のことは分かってほしいということであれば、それはどうなのでしょう。どんなに偉い先生でも決して万能の力を持っている訳ではないはずです。
 うまく言えないけれどとにかくすごい、私が尊敬する先生方を一言で表現するとこんな感じでしょうか。対話や理解も確かに大切ですが、あまりそれを重視しすぎるとかえって息苦しいことになります。「何の反応もなし、でもまあいいか」それくらいの方が何事も長続きします。そして安易な見返りや手っ取り早い結果を求めず深く仕事に打ち込み続ける先生に、人は言葉を超えた敬意を覚えるのだと思います。
 何事にも良い解決策をすぐ示せるような偉い人には到底なれませんが、自分の務めに取り組むことは今すぐにでもできる気がします。なかなか人に分かってもらえない難しい問題を抱えた方に対しても、まず話を聞き、また何度でも話を聞くということならできると思います。「今までよく耐えてこられましたね。これからは我々と一緒にやってみませんか。」こんな感じではどうでしょうか。

もみじ9月号 四方山話より