2017年6月

岡山人の私ですが、好きな関西弁の一つに「ほんまでっか?」があります。相手の言うことを疑うとは本来失礼なのですが、まあそこを柔らかく表現できるのが味噌だと思います。ネットやスマホの発達で衝撃的な事実があっという間に広がる世の中になりましたが、本当でないことや誤った認識もまたすぐに伝わっていく危険が大きくなっています。表立って反対はしないけれど一応は疑っておくという態度は、ある意味健全な気がします。
 タクシーに乗れば、ドライブレコーダーを搭載した車も多く見かけるようになりました。医療を行うにあたってはカルテの記載をきちんとするようにと、今まで何度も注意喚起を受けました。事故などに遭遇した際には、無益な争いを揺るぎない記録が防いでくれるからでしょう。日誌をまめにつけるようにと、私も周囲にうるさがられながら時々声をかけています。
 では物事は真実や事実であればそれでいいのかというと、そこもまた微妙です。「私の言っていることは紛れもない事実である。よって私は正義であり、お前は悪である。」とばかりに相手を追い詰めるような物の言い方は、言われる方も言う方もお互い幸せになれません。あえて曖昧にしておくというか、そっとしておいた方がいいこともきっと沢山あるのでしょう。「これはそこに書かんといてよ。」とか「先生には黙っといて。」などと言いながら当院の職員に色々な話をされる患者さんも少なくないのです。
 自分はお前よりも正確で豊富な情報を持っているのだ、と言わぬばかりに誰かと張り合うのはどうも疲れます。「ほんまでっか?」と思いながらも程よく相手に合わせて驚いたり感心したりするのも一つのあり方なのだなあ、と最近つくづく思います。重要な事実というのはやたらに振り回したりするよりも、然るべきところにきちんと保管しておく方が人をよく災いから守ってくれるようです。

もみじ6月号 四方山話より