2017年2月
 「何だか顔つきが暗いな。よかったら話してみてもらえないかな。」年のせいか、人を見ていてこんな風に感じることがだんだん増えてきました。しかし実際にはそんな暖かい声かけが上手にできる訳ではありません。恥ずかしながら「何か辛そうだな」と思いながら様子を見ているだけ、ということも多いのです。
 辛いとき苦しいときに誰かに話を聞いてもらって気持ちが晴れた、というのは大変有難いことではあります。しかし大人になるとそういう状況は少ないものです。抱える問題も人それぞれで置かれた状況も様々とあっては、もし他の人が相談に乗ったとしてもうまい解決策など出ないかもしれません。「あなたに話したって無駄だから」そんな声も聞こえてきそうです。
 日々の医療にしても、患者さんの訴えや問題にパッパッと対処できることの方がむしろ少ないと認めざるを得ません。それでも諦めず色々な人と相談したり、あれこれ話をしたりしているうちに次の行動へのヒントが出てくることはよくあります。その場で答えは出なくとも「困ったなあ・・参ったなあ・・・」と、ひとしきりぼやいた後になって何かをつかめたりするのです。やはり一人で抱え込むばかりでなく、周囲の人を頼りにするのも一つの方法なのでしょう。
 見方を変えれば、誰かの様子が何かおかしいということに気付いただけまだよかったとも言えるでしょう。そばで人が悩んでいるのにまるで分らなかった、ということもあるからです。すぐに言葉や行動に表せなくとも、人と人で少しでも心や気持ちを合わせることができないか、じっと何かに耳を澄ませるような営みから道が開けないか、色々と試してみることはできるような気がします。名医や頼りがいのある人にはなれなくとも、一緒になって困る人ではありたいと思います。
もみじ2月号 四方山話より