2016年9月

 今年から始まった山の日が811日になった背景には、それが日航機墜落事故の起きた日であることも関係していると聞きました。6日、9日、15日の原爆や終戦の節目やお盆に墓参りもあり、8月は実に祈りや黙祷を捧げる機会の多い月になりました。人が集まり静かに目を閉じるひと時は、そこがどこであっても荘重な雰囲気に包まれます。
 定期的な行事のほかにも、お見舞いやお悔やみなど丁寧で真摯な姿勢が求められる機会は誰にでも訪れます。こうした時に一般的な挨拶の言葉もいくつかは思い浮かぶのですが、まず大切なのは人を思いやる心でしょう。大きな出来事の後ではどんな言葉も無力で空しく思えてしまう場合さえあり、まずそこに人が集い心を合わせることに大事な意味があるのに気づかされます。
 仕事や生活の場面において、黙ったまま発言しないことを否定的に考える文化が欧米には根強くあると聞いています。確かに人の言葉に教えられ助けられることは多いのですが、日本には沈黙は金なりという考え方もあります。発言したくない状況や答えたくない質問に対しても、黙り込むことで対処した経験のある人は多いことでしょう。人を納得させ安心させる言葉と、様々な意味や思いのこもった沈黙と、どちらの価値が大きいのか私にはわかりません。
 医療の世界には、言葉が患者さんを癒すという考え方があります。また言葉は時に人を傷つけ、不安にする側面も持っています。自分の不用意な言動が過去どれだけ人に嫌な思いをさせてきたかを考えると少し暗い気持にもなりますが、だからこそ何度でも人を思いやり祈るような姿勢が意味を持つのだとも言えるのでしょう。言葉の力を磨く意識と共に折に触れては心静かに祈る習慣もまた、人との関わりの中で少なからぬ位置を占めるように思います。

もみじ9月号 四方山話より