2016年7月

 福島第一原発の大事故から5年が経過し、事故当時のメルトダウン発生がしばらく隠されていた問題が指摘されています。メルトダウンや炉心溶融といっても、素人にはそれが何であるか詳しくは分かりません。しかし旧ソ連チェルノブイリ原発の大事故を覚えていれば、普通あり得ないような危機的状況であることは漠然と感じ取れます。政府の指示により電力会社の経営陣が隠蔽を決めたそうですが、核心的な情報は公開されていません。真実は未だ明らかではないというわけでしょう。 
 言い回しや居場所を微妙に変えて、自分の置かれた困った立場から少しでも逃れたい。そんな思いに駆られるのは大人の世界ではよくあることです。うまく立ち回るとか、何とか切り抜けるなどと表現することもできるのかもしれません。反対に不都合な事実を率直に認めて善後策のため努力するような誠実さは、一定の勇気を必要とすることがあります。
 原発事故に対処するのは、想像以上に大変な仕事であった筈です。激務や疲労の中で、つい弱い心が生まれることはあるかもしれません。2011年のあの頃、日本中が本当に苦しい思いをしていました。電力会社と首相官邸で一体何が起こっていたのか。科学技術や行政には厳しく事実を追求する姿勢が必要ですが、人に対しては寛容な所をどこかに残しておきたいとも思えないでしょうか。
 医療の世界でもまた、辛い出来事や現実には数多く直面します。私はこの世界で毎日もがくようにして生きている人間に過ぎず、誰が正しくて何がおかしいのかを裁く力などありません。ただし人がどうごまかそうとしても事実は必ず残ります。「自分に厳しく、人に優しく」とはあまりに言い古された表現かもしれませんが、やはりこれは繰り返し思い起こすべき言葉なのだろうと思います。

もみじ7月号 四方山話より