2016年6月

「ばれなければいい。みんなやっていることだから大丈夫。」そんな考えが頭をよぎることは誰にでもあるような気がします。あるいは「せっかく真面目に頑張ったって、何の見返りも無いのでは意味がない。」という論理はもっと日常的に耳にします。罰せられないのなら問題なし、報償がなければやる気がしない。ほとんど当たり前のように日々の生活に馴染んでいるこうした考えが、たまに途方もなく悪い結果をもたらすこともあるようです。
 子供ならともかく、自立した大人にはいつでも人の視線が注がれている訳ではありません。世間には多くの決まり事やルールがありますが、その気になれば抜け道や言い訳はいくらでも見つかります。命令や罰則で人を縛るようなあり方を好まない人は、おそらくこうした事情にも通じているのでしょう。
 「いいことをすればいいことがあります。悪いことをしていたら後で怖いですよ。」私はこういう説教じみたお話は苦手な方です。しかし透析に関わり続ける毎日の中では、色々と感じる所があります。地味でもこつこつと正しいことを続けてきた人が、まっすぐに伸び、しっかりと根を張っているのを見てきたように思います。反対に手間暇をかけず楽をして結果を出すことを目指していた、ごく若い頃の自分の横着さには私も反省を迫られています。
 大失敗をしたり、ひどく怒られたりしたとしても、自分が信じるものを失わなければまたやり直すことはできる筈です。人の目や評判に縛られない歩みとは、何度でも起き上がるしぶとさもまた備えています。当たり前の誠実さを静かに積み重ねていく日々が、面倒で効率が悪いようでもきっと新しい光を示してくれると信じます。

もみじ6月号 四方山話より