2016年4月

「お前はクビだ!」と言い放ったり人前で女性の容姿をけなしたり、などということは常識では考えられません。しかし最近ある国の大事な選挙の様子を見ていると、唖然とするようなことがあります。差別的な暴言に多数の支持が集まってしまうことが、悲しいながら実際に起こってしまうんだなと感じます。自分の気持ちを分かってくれる、お陰で目が覚めたなどと言い分は様々ですが、そうした状況には何だか言いようのない息苦しさも漂います。
 あんな人達には出て行ってもらったらいい、断固とした対処が必要だ、という具合に自分達とは合わない人を勇ましくやっつけてしまう姿には、確かに一種の頼もしさがあるかもしれません。しかしよく見ると「あの人達」というのが、こちらよりも立場の弱い人を指していることはないでしょうか。弱きを助け、強きをくじくというような言葉はどこに行ったのかと思うのは「暴れん坊将軍」や「遠山の金さん」の見過ぎでしょうか。
 大勢の人が集まれば、どうしてもそこには立場の違いや意見の衝突が起こります。透析医療の現場もまた同様ですが、もめごとが起こると一種の力を以てそれを解決しようと考える人が出てくるのも自然の流れです。絶対的に強い人がいれば事態の展開は早いでしょうが、それではあまり民主主義的とは言い難いようです。そしてまた本当に今困っている人は誰なのか、ということにも注意深い観察と判断が必要です。 
 ひどい暴言を吐くのは論外ですが、相手を威圧して言うことを聞かせようという態度に出てしまうことは誰にでもあり得ます。しかし自分の周囲を見回せば、穏やかで人の話によく耳を傾ける人もあちこちでリーダーとして活躍しているのが分かります。意見や考え方のぶつかる時というのはよくあるものですが、人を押さえ付けるよりまず自分を抑える大切さが改めて見直される時であるようです。

もみじ4月号 四方山話より