2015年2月

 毎年冬になると、山での遭難をよく耳にします。地元の警察による捜索がなされ、その結果は様々ですが、山中で助けを待つ人も、その帰りを待つ家族も、無事の救助をひたすらに祈っているのではないでしょうか。冬によく行われるフィギュアスケートの選手も、演技前にじっと祈っているように見える時があります。
 「ご健康とご多幸をお祈り申し上げます」「益々のご活躍を祈念いたします」など、祈るという言葉は日常生活の中ではお馴染みです。新年には多くの方々が初詣に行って、様々な願い事をされたことでしょう。世の中には色々な信仰があり、どの神様に一番のご利益があるのか私には分かりません。けれども限られた条件の中で最善の結果を得たい時、祈るという行いの力を感じ取っている人は少なくないようです。
 不安や恐れ、悲しみや憤りの中にある時、じたばたするのを止めて、何をするでも考えるでもなくじっとしていると、重苦しい気持ちが幾分軽くなることがあるような気がします。「それじゃまだ何の解決にもなっとらんじゃないか」そう言われればそうです。しかし暗い気持ちで体や顔つきまでガチガチになった状態よりも、平常心に近い方がより効果的に次の一手が打てるものでしょう。気持ちが前向きに変われば、体も後からついてくると思います。ピンチに立たされても不意に攻撃を受けても、そこからまた態勢を立て直せばいいのです。
 冬は風邪やインフルエンザが流行し、多くの人が体調を崩しやすい季節でもあります。当然医療施設でも様々な事態が起こり、人がストレスにさらされる場面が少なくありません。苦しさや大変さ、忙しさの中でも物事が良い方に落ち着くよう心の中で祈ることは、ある意味では手や口を動かして何かをする以上に大切なのではないかと私は考えています。

もみじ2月号 四方山話より