2014年9月

 この夏も大型の台風が何度か日本列島にやってきました。浸水、土砂崩れなど被害にあった地域の方々には、心よりお見舞い申し上げます。我々の住む岡山県では大きな被害は出ていませんが、郷土の無事を喜ぶと共に複雑な思いが頭をよぎるのもまた事実です。目を世界に向ければ、戦争や貧困、伝染病などに苦しむアジアやアフリカの報道がすぐ飛び込んできます。平和で豊かな日本の中でも気候風土に恵まれた晴れの国岡山で、わりと幸福な日々を送ってきた一人が私であるとも言えます。
 平等や公平という価値観を、戦後生まれの我々は小さな頃から繰り返し教えられて来ました。それはあまりにも身近にある考え方であり、その正しさを疑うことも稀であった気がします。しかし実際にわが身を振り返った時にはどうでしょう。自分が社会や周囲の人達から公平かつ公正な扱いを受けていると感じられるでしょうか。この世の中を平等で公平だと思えるでしょうか。お恥ずかしいことですが自分と他の人を比較して「不公平だ、不条理だ、一方的だ」と、うじうじ考えることが私自身にはあった気がします。
 8月には戦争で犠牲となった方々が改めてしのばれ、鎮魂と平和への祈りが多くの人により捧げられました。「すぐ隣の人が吹き飛ばされ、自分は生き残った」、「ご近所の息子さんは帰って来られたが、うちの主人はだめだった」無数にあるそんな事実に、「何故、どうして」という身を絞るような問いがどれだけ繰り返されたことでしょう。
 平等とは何か、公平とはどういうことか、そんな簡単に答えの出せるはずはありません。我々は哲学の先生ではなく、恵まれた岡山の幸せな総社で透析や医療に関わり日々を送っています。感謝し、助け合い、時に闘い、また笑顔や気遣いを交わす。そこに平等や公平さが体現できているのかは分かりません。ただ日常の営みの中で身近な人の役に立つことが、ほんのちょっぴりでも全国や世界の人達につながっていくことを願っています。

もみじ9月号 四方山話より