2014年7月

 少し前になりますが総社西中学校2年生の職場体験があり、当院でも二人の女子生徒が数日間の実習に取り組みました。「看護師になる」という目的意識をしっかり持った彼女達と、私も話をする機会があったのですが、そこで「どうして医師になろうと思ったのですか」と訊かれてつい動揺しました。中学高校時代に「友人や家族の病気で悲しい思いをした」とか「病気の人を助けて世の中の役に立ちたいと思った」ということが、私にはほとんどなかったからです。
 サッカー日本代表の本田選手はやはり大したものです。2年程前に「今でもワールドカップで優勝するつもりか」と皮肉交じりに質問してきた記者に、「もちろん」と相手の目を見据えてはっきり答えたそうです。答えにくい質問に敢えてはっきり答えることで自分を追い込む、そんな彼の覚悟の程が伺えるエピソードですね。
 10代の頃からサッカーで世界の舞台に立つことを目指していた本田選手とは違い、私は医者の家に生まれながら「医者になるのはしんどいなあ、でも特にやりたいことや得意なこともないしなあ…」と、うじうじ、悶々と少年時代を過ごしていました。岡山県内、総社市内にも立派な先生が沢山おられる中で、私のこんな情けない実情を真面目な中学生にばらしていいものか、とっさには覚悟が固まらず、冒頭の質問には冷や汗をかいて視線を泳がせながら適当に無難な返答をしてしまいました。
 しかし今回の出来事は、自分のあり方を確認するいい機会になりました。そもそも既に40歳を過ぎた私は、出来の良し悪しはともかく今の自分が医者であることに迷いはありません。本田選手の勇気にはかないませんが、もしいつか同じ質問を受けることがあったら、相手の目をちゃんと見て「家が医者だし、まあなりゆきで」とか「ごめん、よく覚えてない」と本当のところを伝えたいものです。

もみじ7月号 四方山話より