2014年6月

 医療の仕事をしているとしばしば“心の叫び”とも言うべき声に直面することがあります。我慢して我慢した挙句ここで言うしかなかったんだなという内容が多く、そのずしりとした重みにはこちらもしばし言葉を失います。ほとんどの場合お話を伺うだけで、その人を満足させるような返事ができることは稀です。こちらが謝ってすむ問題ではなく、また相手の希望をかなえるのもすぐには無理だからです。何とか言ってなだめようとしたこともありますが、大体は全く無駄に終わっています。
 「何でこんなことになるんだろう」と煩悶したこともありますが、最近は黙ってその思いを受け止めることの意味をよく考えるようになりました。言っても仕方ないのは薄々分かっている、でもやはり言わずにはおれないんだという気持ちはよく分かるからです。誰にでもそれぞれの事情やプライドがあります。どこまでが当然認められるべき権利なのか、どこから無理難題や過大な要求になるのか、そのあたりの線引きはとても難しいとつくづく感じます。
 全ての要求をかなえて完全な公正さで対処する能力があればよいのですが、残念ながら私にそこまでの力はありません。ただひたすら「とりあえず何とかします」と走り続けているだけです。そして走り続けている限り不思議なことに、必ず共に汗をかいてくれる人達が現れるものです。
 私がクリニックの院長になってそろそろ10年になります。膨大な助けを周囲の方々から頂きながら、何の進歩もないじゃないかと叱られそうな気もします。ただそこに何か問題が起こった時にはこれからも、「何とかして下さい」と要求する側でも「どうなるんだろう」と傍観する側でもなく、「何とかします」と汗をかく側でありたいと思います。少しも格好のいいものではありませんが、それが第一に我々の務めであるのは間違いないからです。

もみじ6月号 四方山話より