2014年5月

 この春には私の周囲でも進学や就職、結婚や出産といった報告が数多くありました。幸せな笑顔に向かってお祝いの言葉を述べるのはやはり気持ちのいいものです。ただその一方で、残念な話や悲しい知らせにも接しました。それぞれの出来事に対して然るべく挨拶をしながら、人の喜びにも悲しみにも自分ができるのは当たり前のことでしかないと改めて感じる時もあります。
 例えば目の前で辛い思いをしている人がいる時に、適切な言葉をかけ何かの役に立てればと思う気持ちを持つのは当然でしょう。あるいは自分に何か大きなことがあった時に人から「自分の知ったことではない」と言わんばかりの態度を取られたら、小さくはあっても心の中に棘やしこりが残るかもしれません。そんな冷たく硬い思いはやがて意外な大きさに育ち、周囲やその人自身を後でまた苦しめることにもなり得ます。
 人の毎日を地道に支える地域医療の現場でも、共感する力とは人を助け自分自身をも救うものであるように思います。どんな力や見識を持った人でも一人でやれることには限りがあります。そして慌ただしく過ごしている時には自分の置かれた立場に不満を持ったり、自分の働きや能力に少々おごり高ぶったりしがちです。しかし立ち止まって人の喜びや痛みに思いを馳せるとき、わずかなりとも何かが静かに変化するのを感じます。人と人が手を携えてこそ、初めて医療は成り立つんだということが改めて思い起こされます。
 様々な思いを周囲と分かち合う時、悲しみや苦しみは半分になり喜びや幸せは倍になると言われます。感情を共有し、心の波長を人に合わせることは暮らしの中で大切な営みの一つであるようです。例え月並みで平凡なことしかできなくともいいのかもしれません。目の前にいる人の思いに穏やかに向き合い続けることが、山あり谷ありの毎日を少しでも和やかにしてくれるはずだと思います。

もみじ5月号 四方山話より