2014年4月

 東日本大震災から三年が過ぎました。311日には岡山県内でも様々な場所で震災が話題にされ、多くの人により黙祷が捧げられたようです。どの言葉、どの祈りにも被災して亡くなった方々への思いが込められていたことでしょう。しかし時間や歳月は無情にも人の記憶を風化させていきます。「他の地域の人達から忘れ去られるのは辛い」という東北の声も切実であるようです。
 災害発生時も今現在も岡山で透析に関わり続ける我々に、被災地の方々に対してできることなど何もないような感じもします。「被災した人も大変だろうけど、私だってぎりぎりなんだ」と言いたい気持ちもあるでしょう。確かに我々もそれぞれの立場で、それぞれの重荷を背負って日々を送っているとも言えます。ただ私はそこに、東北で復興のために奮闘している人達と岡山の自分達とをつなぐ鍵があるように思います。
 阪神大震災の時もそうでしたが大災害の跡に現れたのは、ただ辛い目にあって救いを待っている可哀想な人達ばかりではないと言われます。被災して様々な問題や思いに苦しみながらも一歩、また次の一歩を踏み出していく人達の姿には色々なことを教えられ力づけられるような気がします。それをいたずらに美化するつもりはありませんし、被災の重みが簡単なことで取りのけられるとも決して思いません。ただ自分の負った重荷を前向きに生きる力に変換するエネルギーと能力には強く惹きつけられます。
 腎不全という病気や透析と向き合いながらの生活も決して楽ではないのかもしれません。それでも私達は重みに喘ぎ、痛みに打ちひしがれているだけではないのです。背負うものは背負いながらも一歩一歩、時には明るい顔や笑い声と共に前を向いて進んでいます。東北で闘っている人達も私達も全く同じ仲間なんだ、そんな風に考えたいと思います。

もみじ4月号 四方山話より