2014年10月

 朝夕涼しくなり、読書の秋などとも言われる時期になって参りました。私も本を読むのは好きな方ですが、何であれ実際にやってみると本に書いてある通りにはいかないなあという思いは年々募っていきます。ちょっと本を開くとそこには揺るぎなく美しい言葉の世界が広がっているのに、日々をあくせくと送っている自分の姿は何だかせせこましくてみっともないだけのように思える時があります。
 力強くて説得力あふれる話し方や意志表示のできる人を羨ましいものだと思いながら、自分が何をどうやっても少しも事態が好転しない時には無力感にさいなまれます。しかしある程度長い年月が経ってみると、何とかどうにかなるものだなとほっとしたり感謝したりする気持ちも確かに育っているのに気付きます。
 その昔、「私は弱い時にこそ強い」と言った人がいました。あっちで冷たくあしらわれ、こっちでは相手にしてもらえず、流れに翻弄される木の葉のような有様は、見方によっては頼りなくて情けないものかもしれません。しかし流れ流されウン十年、私の流されぶりにも少々年季が入ってきたのでしょうか。当初は人の考えに半信半疑で、あるいはしぶしぶ従っただけだったのに、後になってみると成程それでよかったんだと気付かされたことも多々ありました。自分の意志や言葉の力などは簡単に他の人や現実の壁に跳ね返されてしまうようでもあります。それでもいつの間にか無数の手や力が自分を支え、助け、紆余曲折はあっても落ち着くべきところへ落ち着かせてくれているような気がします。
 医療も社会も先の見えない時代だとは言われます。自分が大切にしているあれやこれやの物事全てにぎゅーっとしがみついても、息苦しくて疲れるばかりの時は確かにあるようです。誰にとっても本当の本当に大切なものは、実はそんなに多くはないはずです。しがみつく手をちょいと放してみて、でも信じるべきものはしっかり信じて、ゆるゆるさらさらと流されていく感覚も悪くないと思います。皆さんもご一緒に、一つ流されてみませんか。

もみじ10月号 四方山話より