2013年4月

もうすぐ新学期で、お子さんお孫さんがこのたび進学という方も多い頃かと思います。入学式ではよく「みんなで仲良くしましょう」とのお言葉を校長先生から頂きます。我が子や孫に友達と仲良く毎日を送ってほしいと思うのは当然ですし、先生にしても生徒達に喧嘩やもめごとばかりやらかされては大変でしょう。しかし実際には仲良しとは程遠い実態が学校で繰り広げられていることもあるようです。
 みんな仲良く、喧嘩はよしましょうという言葉に正面から反論はできません。ただ誰にでも、人の言いなりになる訳にはいかない場合があるものです。本当の信頼関係を築くためには、事と次第によっては対立も辞さないという気構えはどこかに必要なのかもしれません。もちろんポカポカ殴り合ったり罵詈雑言の応酬をしたりするわけではないのですが、互いの主張をぶつけ合うというのは限度を超えなければ至極健全な営みであろうと思います。
 自分は言いたいことを言うが、相手には黙っていろと言わぬばかりの一方的な態度に辟易することはよくあります。まともな話し合いがなされることもなく、沈黙や無視などの心理的圧迫を加えて主張を通そうとする人達にも出会います。大勢で一人を吊るし上げるやり方は数の暴力といえるでしょう。さまざまな形の陰険な圧力に比べれば、喧嘩の方がまだ人間味があるというか血が通っているような気がしてきます。
 好きな落語を聞いていますと、江戸っ子たちの威勢のいい喧嘩っぷりについ引き込まれます。時に激しくやり合うことがあってもしばらく経ったらまた元通り、という関係は気持ちのいいものです。学校に通うぐらいの年頃では、「弱い者いじめは絶対するな。多少の喧嘩は大目に見る。」という方針もありなのではないでしょうか。

もみじ4月号 四方山話より