2012年4月

東日本大震災から一年となる節目に向けて、倉敷市内で復興を祈るキャンドルが販売されていました。なかなかの売れ行きだったとのことで、311日の夜には多くのご家庭で小さな灯がともされたようです。被災地から遠く離れた所では、家や家族を一瞬で失った方々の気持ちを本当に知るのは難しいのかもしれません。岡山は気候に恵まれ災害も少なくて有難いのですが、その反面で助け合いの気持ちや危機感が薄れているのではという指摘もあるようです。表面上穏やかな生活が続くうちに、本当に大切なものを忘れてしまうことがあるのでしょうか。
 とは言え、東北の地を思い復興を祈る我々の気持ちが全く無駄だとは思いません。あの大災害に受けた衝撃や、そこから学んだ教訓は静かに人を変えていくはずです。東北の再生なくして日本の再生なし、とどこかで聞きましたが被災前の状態に戻すのは無理だとも言われています。復興にも莫大なお金がかかるでしょうし年金や医療費、少子高齢化など国全体の先行きまで考えれば息苦しくなるばかりですが、この苦境をバネに今までとは違う発想で飛躍することも可能なのかもしれません。
 お正月と並んで、桜咲く四月は多くの人にとって大切な節目の時期です。新しい学校や職場に新鮮さと軽い緊張をもって臨んだ記憶は、四月の空気と共に誰の脳裏にも残っていると思います。社会に出て既に久しい身となっても、周囲の人事異動や様々な社会制度の変更などで四月には新しいやり方や環境に適応することが求められます。毎日同じことの繰り返しになりやすい慢性維持透析という我々の仕事にも、思い切った変革が求められる部分はあるのだろうと思います。夜の闇にさあっと朝日が差すような、鮮やかな大改革はとても手にはおえません。しかし様々な問題や閉塞感に対してロウソクぐらいでもいいからささやかな希望の灯をともすこと、このくらいなら何とかなりそうです。
 小さな灯も数多く集まれば周囲を明るく照らし出すはずです。この春を機に何か一つ二つでも、明日につながる営みを自分の手で始めることができればと思います。

もみじ4月号 四方山話より