2012年11月

私事で恐縮ですが先日父方の祖母が亡くなりまして、因島に帰ってお骨を納めて参りました。我が家の墓は小さな山の中腹にあります。墓の前にかがみ込み、先に逝った祖父や父の骨壺の傍にそうっと新しい壺を起きながらいずれ私もここにお邪魔するんだなと思いました。島の墓地は瀬戸内の海に臨み、周りにはみかん畑が広がります。この島で祖父は亡くなる前まで、小さな医院を営んでおりました。
 重井病院に勤めていた父が、杉本クリニックを始めたのがちょうど25年前です。思えばそれから本当に色々なことがありました。お陰様で我々は総社の地に根を下ろし、また新しい日々を刻んでいこうとしています。この先クリニックは一体どうなるのか、どうするのか。実はあまり明快なお答えは準備できておりません。ただカエルの子はカエルと言いますか、町医者の跡取りである私は町医者として仕事をしていくしかないように思います。
 祖父母が現役で頑張っていた昭和の時代に比べれば、診断や治療手段の進歩はめざましく我々の寿命は格段に延びました。その反面、社会や経済の状況も大きく変わりました。『お医者さん』や『看護婦さん』という言葉もあまり見かけなくなり、『医師』、『スタッフ』、『患者様』という方が世間では優勢な印象です。医療の世界において以前はできていたこと許されていたことで、今の時代にはできない、許されないということもまた山ほどあります。
 時代の変化に適応していくことは勿論大切ですが、人の生き方や人との関わり方についてはずーっと変わらないものや受け継いでいくべきものもあるはずです。それは他の誰から押しつけられることでも強要されることでもなく、結局は自分の意志で選び取り、守り育てていくものではないでしょうか。人は無限の存在などではなく、皆いずれはどこかへ還っていきます。ただみかん畑の傍で父や祖父母の脇に納まるのはもうちょっと先のことにさせて頂いて、私はここで自分の務めを果たして行きたいと思います。

もみじ11月号 四方山話より