2012年10月

 先日車の運転中に、ラジオから昭和時代のヒット曲が流れてきました。「好きなんだけど、離れてるのさ…」この歌が流行った頃私はまだ生まれていなかったと思いますが、それでも星のフラメンコは折に触れて耳にすることのある名曲です。この度はこの冒頭のフレーズが特に気になりました。
 最近は自分の家族や友人など、周囲の人への思いや愛着が語られている場面によく出会います。我が子や友達、両親や兄弟、おじいさんおばあさんなどに向けた「大好きだよ、大切に思ってるよ」というメッセージがそこら中にあふれています。ただその割に私たちが日常で目にする周囲の人達の表情は、疲れていたり不機嫌そうだったり何だか怖そうだったりすることが多くはないでしょうか。あなた失礼ですがあまり愛に満ち足りているようにはお見受けできませんね、と完全に余計なお世話でしかないことをつい考えてしまったりします。
 愛情や好意を押しつけられそうになることもまた我々は時に経験します。「あなたのために言っているんですよ」などというのはその典型でしょう。医者や看護婦が厳しい口調で患者に説教しているのは病院ではよくある光景です。しかしそれは本当に相手のためなのか、単に自分達の都合のためではないのかという吟味や反省が必要な時も正直あるように思います。そこに本当に愛や友情、相手への気遣いがあるのかどうか、言葉だけでは分かりません。学校で生徒たちが本当に仲良くしているのか、それとも裏には陰惨ないじめが隠れているのか、先生が正しく把握するのも大変なのだそうです。
 「愛とは習うものだ」とある人が言っていましたが、正しく愛を取り扱うには注意深さと経験が必要であるようです。誰からも愛されていない人や全く愛されたことのない人はあまりいないと思いますが、言葉や行動で分かりやすく示されるばかりが愛の表現ではないはずです。冒頭の歌のような分かりにくい愛情に気付く感性や、ゆがんだ愛情や偽りの愛を見抜く力など、奥深い愛の世界を知るには私などまだまだ勉強不足です。

もみじ10月号 四方山話より