2011年9月

関西高校がベスト4まで進んだこともあってか、私の周囲では今年の高校野球もなかなかの盛り上がりを見せました。また激闘の末世界一の栄冠を手にした女子サッカー代表の活躍も記憶に新しいところです。彼女たちもただ頑張ったというより居並ぶ海外の強敵を倒して勝利したからこそ国民を熱狂させたのでしょう。スポーツの世界では闘って勝つという結果が人を惹きつけ、高い価値を生むということはあると思います。
 『闘病生活』や『癌との闘い』などと医療という営みにも闘いの例えはよく使われます。病気という敵は理不尽に容赦なく我々に襲いかかり、我々が望まない闘いを一方的に仕掛けてきます。「もうだめだ。もうこれ以上頑張れない…」とこちらが打ちひしがれても、まるで斟酌も同情もしてくれずひたすら体を蝕み続けます。ただ敵とは言っても癌とか病原体といった分かりやすい相手ならまだしも、糖尿病や腎臓病といった慢性疾患ではどうにもその姿がイメージしにくいのも事実です。
 実社会でも学校や職場での陰湿ないじめや、家庭生活や若い人の間に潜む虐待や暴力など人を深く傷つける敵の姿は見えにくくなっているようです。確かにそこに敵は存在して、こちらは深刻に苦しんでいるのに相手の姿はよく見えないという状況です。なかなか野球やサッカーでライバルを倒すようにはいきません。さらに武道の世界で言われるように真の敵は己の中にある、と考え始めると事態は益々ややこしくなってきます。
 スポーツや病気に限らず、人は誰でもそれぞれの闘いが毎日続いているとも言えます。闘う相手や戦闘手段も様々で、力や言葉を使うような闘いばかりでもありません。日常では夫婦喧嘩や嫁姑の争いもありますし、お酒や甘い物の誘惑との闘いもあります。やはり最大の敵とは欲や感情に流されてしまう弱い自分なのでしょうか。なでしこジャパンのように華やかにはいきませんが、人それぞれの敵を倒す地道な闘いはあきらめずに続けていきたいものです。

もみじ9月号 四方山話より