2011年5月

毎年春から初夏にかけては、季節の移り変わりを強く感じるように思います。気温の変化も大きく、お花見シーズンの後には木々の若葉がぐんぐん育っていきます。今年は特に冬の辛さが身に染みただけに、待ち遠しかった春がやっと来てくれたような気がしました。「今がいちばん良い時期ですね」と言われる声もよく耳にします。
 春の野山や草木には独特の匂いがあります。私が幼い頃住んでいた家は、山を切り開いた住宅地にありました。周囲には山林や畑が多く、そこを近所の子たちと駆け回ってよく遊んでいました。今住んでいる家の辺りは草木の多い環境でもないのですが、先日子供を連れて散歩していて不意に春の匂いを嗅いだ気がしました。草花の香りなのか土の匂いなのかは未だによく分かりませんが、全身で野山の空気に包まれていた小さな頃を思い出しました。
 全身で何かを感じるということは、大人になるにつれて減ってきたようです。周囲の情報は主に目や耳、あるいは言葉を介して私たちの身体に入ってきます。暑さ寒さが厳しい時などを除いて、匂いや皮膚の感覚といった一種原始的な知覚は五感の中でも脇役であるような印象です。アスファルトやコンクリートに固められた屋外や、窓を閉め切ってエアコンを効かせた室内に長くいると季節の微妙な変化を感じることもあまりありません。何かを肌で感じ取る能力は、気をつけていないと衰えてしまうのでしょうか。
 透析医療では五感を働かせることが大事だと言います。透析中のトラブルに早く気付くには目や耳だけでなく、何かが何となくおかしいと感じる勘のようなものも必要です。言葉や理屈で筋道を立てて物を考える習慣はとても大切ですが、野性の本能にも似た皮膚感覚が自分や周囲の人を危険から守ることもあります。擦り傷を作りながら野山を駆け回ることはもうないでしょうが、せめて今の日常で勘や本能を働かせる工夫はないものかと考えています。

もみじ5月号 四方山話より