2011年4月

東日本を襲った大震災から少しずつ日数が経過しています。しかし災害の痛みは広い範囲で続いており、多くの人がまだ不安や苦しさの中にいます。直接の被害を受けなかった岡山でも影響はすでに表れており、本当にこれは戦後今までで最大の事件なのだと感じます。被災された方々が一日も早く平穏な日常を取り戻されることを願って止みません。
 大きな不幸は私たちの弱さをさらけ出し、同時に強く前向きな部分を呼び覚まします。どちらも命や生活が危機にさらされた時の正常な反応であるように思います。忍耐力や勇気と共にこの危機に立ち向かう方々には本当に頭の下がる思いがします。一方で買いだめ行為や一部の思慮に欠ける言動が報じられているのはご周知の通りですが、それも不安のなせる業で仕方ないのかとも思われます。自分や家族を守りたいという気持は皆同じです。危険な原発事故への対応や、災害ボランティアといった立派な行いが誰にでもできるわけではありません。私にもすぐできることといえば、とりあえず何かを我慢することでしょうか。
 耐えるということは本当に地味で、こういう時に殊更口にすることでもないかもしれません。また日常生活で我慢というと、「どうして自分ばかりが・・」とか「ストレスがたまるばかりで結局は無駄」などとつい敬遠しがちになります。しかし小さな我慢というのは命令や強制をされることなしにいつでも誰でもすぐできる、そして小さくとも何かの役には立つという利点があります。ささやかなことも数多く集まれば、一定の力となって今困っている人のもとへ届く筈です。
 眉間に皺寄せて歯を食いしばる訳でもなく、穏やかに淡々と何かに耐えている人の姿は医療の現場でも日常的に目にすることができます。そしてそうした方々が如何に周囲の助けや救いとなっていることでしょうか。災害の余波による様々な不安もまだ終息してはおりません。勇気を奮って声を上げ、行動を起こさねばならない時もいずれはやってくるでしょう。しかしまず今しばらくは、じっと我慢の時ではないかと考えております。

もみじ4月号 四方山話より