2010年7月

先日、毎年恒例の日本透析医学会に行ってきました。そこでは企業が最新の透析に関する機械を展示するコーナーがあって、例年多くの人で賑わっています。今年は透析の機械各メーカーともに『全自動化』に力を入れている印象がありました。透析の準備や回収を機械が自動でやりますよ、看護師さん技士さんの手間が省略できて便利です、ということのようです。我々人間自身の進歩はさておき、機械や道具とは年々急ピッチで進化を遂げています。携帯電話も以前とは比較にならないほど小さくて多機能になっていますし、新幹線の切符も機械で座席の予約まで簡単にできます。トイレだって勝手にフタが開いたり水が流れたりと至れり尽くせりの感があります。
 機械による自動化を進める理由の一つには単調な作業から人を解放し、より便利な環境の中でより有意義な仕事や生活を送れるようにしましょう、という考えがあるようです。確かに毎日毎日同じような作業や仕事を繰り返すのは退屈で、余計な疲れがたまってしまうということもあるかもしれません。機械の進歩によって生活が変わっていくのには避けられない所があり、今更我々がパソコンや携帯電話のない生活に戻れるとは到底思えません。
 しかし単調な繰り返しを免れた生活が、即ち幸せで有意義かというとどうも疑問が残ります。夜寝て朝起きてご飯を食べてトイレにいって、服を着替えて入浴してまた寝るという具合に人間の生活は根本的に同じようなことの繰り返しが基礎にあるように思えるからです。電子レンジや洗濯機を使うにしても家事から完全に解放されることはありませんし、どんなにコンピューターが普及しても子供には紙と鉛筆で勉強させるという基本は変わることはないでしょう。どんな機械にも不具合や故障はつきもので、機械に任せておけば安心という考えには危険さえ潜んでいるように思います。
 透析の世界でも自動化した機械の浸透は避けられない流れのようには思いますが、どれだけ機械が進んでも人を治療するのは最終的にはやはり人です。技術の進歩には敏感に対応しながらも、我々職員の知識と感覚を日々磨き続ける意識は忘れないようにします。

もみじ7月号 四方山話より