2010年4月
 いきなり下品な話で恐縮ですが、最近ラジオでおならの歌が流れているのを耳にしました。女の子でもおならは出るんだから我慢せずに…というような歌詞だったと思います。この歌は子供向けに作られたようですが、もともと幼い子供は下品でお母さんが嫌がるような言葉が大好きです。うちの子たちもこういう言葉には敏感に反応してそれは嬉しそうな顔をします。外の世界で大人が一日真剣に働いて、家に帰ると子供たちが元気いっぱいに「おなら!」「ちんちん!」などと騒いでいたらどうでしょう。どんなに厳しい交渉に臨んできたり重要な問題を協議したりしてきた後だとしても、可愛いとか癒されるという前にまあ馬鹿馬鹿しくて力が抜けてしまいます。
 「前院長は面白い人だった」というお話を古くからの患者さんから伺うことがあります。そういえば父が小さな孫に「これがちんちんで」などと楽しそうに教え込んでいたようでもあり、「また余計なことを…」と横から私が言うと「馬鹿お前こういうのが大事なんだ」と諭されたような気もします。こういう真面目に不真面目なところは確かに父の持ち味でした。
 今の大変な世の中、真面目で真剣な顔はそこら中に溢れています。いかに自分が日々大変な思いをしているか、いかに自分が何かに必死で耐えているかと主張する声も鳴りやむことがありません。人は誰でも苦しい事情を多少は抱えていますし、それぞれの立場で頑張っているのも間違いないはずです。しかし柔らかさや暖かみのかけらもない表情で自分の主張や要求を掲げているだけではどうにも息苦しいように感じます。「私はおならもしないし、お酒やお菓子にも全く手を付けません。冗談は嫌いだし美人やいい男にも全く興味ありません」という人もいないでしょう。とかく空気の緊迫しがちな医療の世界でも、楽しさや明るさに注目する動きが看護協会などから出始めているそうです。
 こんな下品な話の何が楽しいんですかと真面目に問われると困るのですが様々な難問の壁に苦しむ日々の中で、おならの歌でも小さく口ずさんでみるぐらいは許されないでしょうか。
もみじ4月号 四方山話より