2010年12月

あっという間に秋も過ぎ、早くも年末となって参りました。皆様今年はどんな年だったでしょうか。「嫌なことが多くて、辛い年だったな」という方や「色々あったけれど、お陰様でそれなりに幸せな一年でした」と言える方など様々だと思います。しかしうっかり人前で「幸せです」と口にすると、「ああそうですか、じゃあ私は不幸せなんだから恵まれたあなたが余分に負担して下さいね」などと言われかねない雰囲気が世に溢れている気もします。
 「私はいろいろ苦労しているんです」、「いいや、それより私の方が大変です」と負担の重さを競い合うような言葉はそこら中で聞こえてきます。オーラとか雰囲気という言葉がありますが、ささやかなりとも周囲を明るく幸せな感じにしてくれる人の印象とは、少なくとも不機嫌で幸薄い感じではないと思います。機嫌の悪さを誰かにぶっつけて、それで自分の置かれた状況が改善するならいいのですが、どうもそうではないようです。
 身近にご不幸があったり、すぐ傍らに体調の悪い方がおられたりするときなど幸せを表現するにも時と場合を弁えることは必要です。その一方で、いつでも誰にでも等しく幸せになる権利があります。お互いの痛みや辛さを分かち合うことは大切で、周囲を気遣い人に先を譲る気持も素晴らしいと思います。しかし誰か一人がみんなの不幸を一身に背負う必要もない筈で、自分は恵まれているという感覚を持つことは別に悪いことではないでしょう。
 「幸せだなあ」というと随分古い歌を思い出すかもしれませんが、最近は歌でも幸せという言葉が使われることは減ったように思います。もしも安易に口にするとかえって幸福が逃げてしまうということがあるのだとすれば、ひっそり慎ましやかに心の中で「しあわせ」と呟いてみるのはどうでしょうか。幸せも不幸も、もしかすると人から人へと反射して何となく広がっていくものなのかもしれません。笑う門には福来たる。来年が皆様にとって幸多き一年でありますよう、心よりお祈り申し上げます。

もみじ12月号 四方山話より