2009年8月
 夏になり、朝早くに窓を開けていると蝉の声が聞こえてきます。普段は締め切った屋内にいることが多いためか、夏といえども日中に蝉の声を聞くことは少なくなりました。農作業など屋外で仕事をされる方には当然のことにも、ずっとエアコンの効いた建物の中にいると鈍感になるようです。あまり暑いのは困りますが、蝉の声をじっと聞いていると平常の仕事から少し離れることができます。
 医療とは神経を使うことが多い仕事です。透析の準備や注射・薬剤の準備も単純作業のように見えて、細かい変更に対応しながら間違いの許されないストレスがあります。患者さんの苦痛や訴え、様々な人の要望をどうするか考え対処し続ける毎日は、ともすると差し迫った問題や表面上の課題を何とかするだけで過ぎていってしまいます。しかし目に見え耳に聞こえてくる問題に神経を使うだけで終わってはいけない筈です。
 お盆が近づいてくるとまたお墓を掃除したり線香を上げたりといった家族の行事が待っています。私はすっかり因島の先祖墓にはご無沙汰していますが、子供の頃にはお盆の度に帰省して夏休みを過ごしていました。その頃お盆の意味は知りませんでしたが、蝉の声だけが聞こえる静かな島の夏には本当に祖先の霊が帰るのかもしれません。
 医療はまた人の心に触れることも多い仕事です。ご先祖の霊と違って人の心は確かにそこにあり、ほっとしたり傷ついたりしながら盛んに活動しています。しかしもちろん心というのは音もしなければ目に見えることもありません。声にならない声を湛え、慎み深くそこにたたずんでいることが多いように思います。人の心は測りがたいと言いますが、我々が感じ取らねばならないのはそこなのでしょう。静けさの中で形のないものについて考える時間には、急ぎの用事に追われながらつい見落としているものに気付くことがあります。今年の夏も墓参りに帰るのは難しそうですが、蝉の声のする中で様々な人の心に思いを巡らせる時間は持ち続けたいと思います。
もみじ8月号 四方山話より